第1回 |コラム澤口 「皆さんにとって大切なものは何ですか?」

初めまして、私は一般社団法人 日本事業戦略総合研究所(co-founder)、理事の澤口と申します。

今月から今年12回のシリーズで、個人的に興味深かったことについて、自由気ままに書き綴って参りますので、お時間がある方はお付き合い下さい。

今回、第1回のお題は「皆さんにとって大切なものは何ですか?」です。

家族?健康?ビジネスの成功?生きるのに必死でそんなことを考える余裕はない?
家族と言っても肉親やパートナーもあるだろうし、はたまた「ペットの○○ちゃん」とか「ぬいぐるみの○○君」という方もいらっしゃるでしょう。

私は「自分自身の健康」、それも肉体的健康と精神的健康が何よりも重要であると考えます。
自分自身がしっかり出来ないのに、家族も含めた他者を考える余裕なんてないからです。
家族は言うに及ばず、次は仲間で・・・次がお金かな。
特に精神的健康の重要性を感じます。

「いやいやきれいごと。お金が一番大事、当たり前でしょ?」という方、全面的に同意しますが、以下の私の話に付き合って下さい。

突然ですが、渋沢栄一氏ってご存じですか?

「現代に連なる大企業の多くを創設した実業家だよね」
「銀行を設立した人だよね、みずほ銀行だっけ?」
「今年から始まる大河ドラマの主人公だよね」
「新しい一万円札のデザインだよね」
全部その通りなのですが、渋沢氏が「日本初となる社会福祉法人の前身を創設した」と聞いてピンとくる方は少ないかと思います。

実業家が福祉?

明治という時代は、我々が教科書や歴史ドラマで知るよりも、もっと過激でドラスティックな「革新の時代」でして、今日とは人権意識が違うので仕方ないのかも知れませんが、足尾銅山事件とか、日清・日露戦争とか、結構ひどい時代であると感じます。

特に明治時代の黎明期は、当時の列強(帝国主義の具現者達)に日本国が侵略されるかも知れないという恐怖感および危機感と劣等感、列強の工業力と工業力が実現する豊かさに対する憧れ、といった様々な価値観や感情がカオス状態にあった時代であり、こうした価値観・感情や急激な社会体制の変化に伴う「既得の破壊や新興の台頭に伴う格差の発生」が明確になった時代でもあります。
廃仏毀釈とか、1,000年以上培ってきた仏教文化を自ら否定すること「すら」まともにまかり通ったカオスな時代です(明治時代のうねりに抗った南方熊楠氏についても触れたいですね)。

黎明期の年代を追って見ると、こんな感じです。
・五箇条の御誓文で王政に復古したのが1868年
・渋沢氏が生活困窮者や病者、孤児、高齢者、障害者の保護施設である日本初の「東京養育院」を創設したのが1874年
・(ちなみに)西南戦争は1877年

渋沢氏は、東京養育院の理事長を設立後57年間も務めることになりますが、その紆余曲折が興味深いです。

江戸から明治になり、首都東京の困窮者、病者、孤児、老人、障害者といった社会的弱者の保護施設として養育院が設立されました。
1874年、渋沢氏は東京府知事大久保一翁氏より、「(寛政の改革で有名な)松平定信が定めた江戸の貧民救済資金「七分積金」を養育院のために使って欲しい」と依頼されます。
1876年、渋沢氏は養育院事務長に任命され、七分積金を充当して、近代的な診療設備や職業訓練所を設け社会的弱者の社会復帰を支援すると共に、子どもの学問所を作り知識を身に付けさせたと言います。

しかしながら、東京養育院の運営が1879年から東京都に移り、同院の運営に税金を使われるようになると、1881年に東京府議会での東京養育院の廃止案が提案されます。
府議会の議員である田口卯吉氏が渋沢氏を名指しで批判し、「貧民を救うために多額の税金を使うことはやめるべきだ」「税金で貧民を助けることは『惰民』(おそろしい言葉です)を増やすだけである」と主張したのです。

考えられますか?議会での議員の発言内容が「惰民製造禁止」ですよ? 明治時代の黎明期が「いかに恐ろしい時代であったのか」の理解を助けてくれますね、カオス。

渋沢氏は懸命に反対しましたが、実際には1884年をもって公費支出停止により東京養育院の東京府直営制の廃止が決定されます。そこで、渋沢氏は東京養育院の所属は東京府のままに、個人渋沢氏が運営をする委任経営を東京府に申し込んだのです。

そうなると、ますます運営資金の問題が・・・、ここからが面白いポイントです。


エピソード1(お茶目ですなぁ)
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渋沢氏は、寄付者候補のリスト、いわゆる奉加帳の一番上に自らの名前を書き、率先して寄付協力を募る活動を行った。
奉加帳には三井財閥といった資産家の名が記載されており、渋沢氏が彼ら資産家と面談する際に「大きなかばん(陰で「泥棒袋」と呼ばれていた)」を持参して行き、「自分が一番にどれだけ寄付したか」の話をして、面談相手が高額な寄付を断れないようにして迫ったという・・・(それ、強要でしょ?)。
冗談交じりに、「渋沢さんが寄付金を集めに来るとついつい出してしまう、渋沢さんに長生きされてはこちらの身代がもたないよ」とぼやく人もいたとか。


エピソード2(お見事の一手)
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渋沢氏が目をつけたのは、西洋流の社交の場として毎晩舞踏会が催されていた「あの鹿鳴館」。
渋沢氏は政府高官や財界の婦人たちに働きかけ、1884年に日本初となるチャリティーバザーを開催します。
「あの鹿鳴館」のご常連さん達ですから、滅多な品物はバザーに出せません(○○さんは××を、ウチはもっと高額な△△を出さなきゃいけないザマス)。そういう人間心理も的確につかんだ演出も功を奏して、3日間の売上はオークション3,000品で7,500円、現在の価値で6,800万円にも達したそうです。



こうした渋沢氏の集金活動(?)の結果、東京養育院の資金は1885年には3万5,031円(約2億9,800万円相当)だったものが、5年後の1890年には11万8,104円(約8億8,500万円相当)にまで増加し、東京養育院は東洋一の福祉施設となったそうです。

他にも、渋沢氏のこんな言葉もあります。
「母親が安心してこの子を委託し、日が暮れるころには仕事が終わり、子を連れに来て伴って帰るというようなよい仕組みを作ったなら、非常に良いと思います」。
女性の社会進出を見越してのことですが、今の日本社会の問題を正確に射貫いていて流石です。

その他、渋沢氏と三菱財閥の総帥である岩崎弥太郎氏との掛け合いも興味深い、いや面白い。

当時の岩崎氏は、土佐藩から払い下げられた船舶から出発した日本の海運業を独占しており、経済界で権勢をふるっている人物です。

岩崎氏:
僕が君と手を握り合って事業をすれば、日本の実業界を思うように動かせるから、二人で一緒に大いにやろうじゃないか?

渋沢氏:
そうした独占事業の考え方は、欲に目のくらんだ利己主義でしょ?

市場独占をしたたかに狙う岩崎氏、自由市場こそが資本主義の原則だと思っていた渋沢氏。
二人の間の結果は・・・、皆様想像の通りです(実際、酒宴の席を立ったそうです)。

渋沢氏のエピソードでもう一つ重要なものが、現在の生活保護法につらなる「救護法」の制定です。

1929年に端を発した世界大恐慌により日本でも失業者が続出し、東北地方では農村が深刻な飢饉に見舞われました。226事件の青年将校の義憤としても記憶に残ります。
国会において、貧困者を救護することを国や自治体に初めて義務化した救護法が制定されますが、法が制定されても政府は予算がないことを理由に実施を延期します。

この時、渋沢氏は既に91歳の高齢であり病魔とも闘っていました。

渋沢氏は医師の制止を振り切り、羽織袴に着替えて時の大蔵大臣・井上準之助と内務大臣・安達謙蔵に訴えます。2年後の1932年にようやく救護法は実施され、24万人もの人々が救護されました。
渋沢氏自身は、救護法の実施を見ることなく、前年の1931年に92歳の生涯を閉じます。

私は、何も「渋沢氏のように、我々も慈善事業に打って出よう」と言っているのではありません。

確かに、実業家としての渋沢氏のお金を生み出す工夫が非常に秀逸なので惹かれますが、もっと重要なことは「明治時代黎明期と、コロナ禍に苛まれている現在」が驚くほど似ており、視界不良な混沌とした現代を生きる我々にとって、渋沢氏の「論語と算盤」に代表される考え方は非常に参考になると思うからです。

更には、格差という言葉が残念ながら市民権を得ているように、「いろんな格差事項」とお金とが結びつけられた文脈で語られることが多く、ここ最近でお金自体に対する考え方が変遷してきたということです。
セレブという言葉に代表される、極論で言えば「富んでいる=正義」「貧しい=悪」といったような、非常にステレオタイプな価値判断が蔓延していることを危惧します。


話は変わりますが、最近の大学生のステータス・ブームが「起業=会社の社長になること」だそうです。AI分野とか、特にそうした専門性が高い分野でブームが高いと聞いています。
今の日本社会、これは必ずしも事業家に限らないのですが、富=お金が手段なのか目的なのかがはっきりしない企業活動を頻繁に目にするようになりました。

AIで社会に貢献、いやいや、AIで金儲け、起業した会社を大企業にバイアウトしてウハウハ・・・。

資本のルール?
個人的にはそうじゃないと信じたいですが、現実問題、本人達の能力はあると思いますが、選ばれて専門性が高い教育を受けた人間が、前述の「手段と目的」を混同して行動している事例の一つです。

ブラック企業とまでは言いませんが、富の配分の考え方が、前述の渋沢氏のような考え方ではなく、岩崎氏の考え方に寄っている人が多いと感じます。

昨今の海外からの技能実習者を巡る環境とか、同じ日本人として認めがたいようなことが社会のあらゆるところで頻発しており、アジアの方々が日本を嫌いにならないか心配です。

これはあくまで個人意見ですが、資本主義は資本主義でも、商売相手や働く仲間を大切にする「日本の資本主義」ではなく、株主に富を集中させる米国の資本主義に寄っている、という感覚を持っています(この話題もどこかで触れます)。

更には、「ビジネスモデル=お金を儲ける仕組み」だと定義するなら、「楽して儲けるビジネスモデルが優れている」と尊ばれている風潮も感じます。
SNSでバズるとか、著名人がブランドを立てるとか・・・「自らの頭や価値観で吟味せず、場の流れや雰囲気、他者の意見に安易に迎合する」といった日本人特有の「自ら吟味せずに体勢に身を任せる」といった悪癖に便乗した「一過性ビジネス」を感じます。

以上、大きなお世話のオンパレードですが、社会全体が荒れてきたと危惧します。

お金は魔物です、私も沢山欲しいですよ。
しかしながら、冒頭で述べたように「我々にとって大切なもの」の一番は、実はお金ではない。
お金は手段であって目的ではないからですし、沢山欲しいと言っても一定レベルを超えたら「ゲームの得点」に過ぎません。

肉体的および精神的な健康を実現するための手段としてのお金との向き合い方。 それこそが渋沢氏が「論語と算盤」という言葉に集約した、後世の我々に問いかけている本質ではないかと思うのです。
合わせて精神的健康とは、個人自ら「さえ」良ければいいのではなく、我々の場合はビジネスを通じてでしょうが、社会に対する何らかの貢献・還元と、そうした貢献・還元を信頼しかつ価値観を共有できる仲間達と行う「お互いの得意分野でビジネスというセッションを奏でる」ことではないかと思う次第。

要は日本的資本主義につながる考え方・価値観ですね。
これを我が国では「三方よし」と言います。

そうした行動は一見古くさいのですが、温故知新と言えばそうですが、コロナ禍により様々な場面において個人皆が日常を失いつつある昨今、アナログ的に「人との関係性やセッションのやり方を見直す」ことの重要性が増しているのではないか?
それは、ビジネスの場において、前述の「お金への向き合い方」と連動し顕著になっている、そんな考えを持っております。

渋沢氏に先見性があったことは事実です。
しかしながら、すべての事業には「信頼できる仲間」が存在したはずです。
更には、渋沢氏のエピソードで触れた救護法は、全国の福祉活動家、要は「渋沢氏と思いを一にする仲間達」の後押しがあったればこその話です。
渋沢栄一氏が偉人であることに疑問の余地はありませんが、渋沢氏一人が偉いのではない、渋沢氏一人の偉業ではない、ということです。

で、あらためて聞きます。
皆さんにとって大切なものは何ですか?
皆さんには信頼できる仲間はいますか?

これはお互い様ですが、信頼できる仲間を獲得するための日々の行動や言動の積み重ねが重要ですね。

今回は、この辺で。

【プロフィール】

澤口 宗徳(サワグチ ムネノリ)

一般社団法人 日本事業戦略総合研究所(co-founder)理事

東京大学工学部(精密機械工学科)卒業
大和銀行(現りそな銀行)において銀行実務全般および金融工学を活かしたリスク管理業務に従事。
野村證券金融研究所(現、同社金融経済研究所)出向時にクオンツ評価を投資銀行業務に活用する分析手法の開発に従事、出向後は銀行業務全般における業務推進企画に従事。
森トラストグループ投資銀行立ち上げに参画。
現在は、企業経営および新規事業立ち上げに従事。