第12回 |コラム澤口 「縁(えにし)とは?」           

久しぶりに、筆をとらせていただきます。

当コラムは「全12回・毎月」という当初の計画スケジュールで一昨年の1月から進めておりましたが、当方の事情により最終回である12回について長々と間を開けてしまいました。
しかしながら、「開けた窓は閉める」の言葉通り責任を持って終えようと思います。



今回の第12回・最終回のお題は「縁(えにし)とは?」です。

このコラムが配信される方々は既にご存じのことですが、一般社団日本事業戦略総合研究所(一般社団戦略総研)の吉田正保理事が、去る令和6年1月4日に亡くなられました(以降、私が慣れ親しんだ呼称である「吉田会長」とお呼びします)。
71歳という早すぎる旅立ちとなりました。
縁があった方々一人ひとりが、様々な場面における吉田会長との様々なやりとりや出来事に対して静かに思いを馳せていることと思います。
私もその一人であります。

そもそも、当コラムの執筆を私に持ちかけたのは、他ならぬ吉田会長です。

私自身のこれまでの職歴において、多くの時間をペーパー・ワーカーとして過ごしてきました。
ペーパー・ワーカーが書くペーパーとはビジネス文書であり、それは決裁文書や企画書、契約書、はたまた全社宛の業務通達といった「型にハマった文章」になりますが、要するに目的を持っているが故に「自由に書けない文書」です。
それこそ山のように書いてきましたが、その真逆の「型にハマらない文章」と言いますか、奔放に書く文書というものを私は人生において書いた経験がありません。
しかも、当コラムはその性格上「経営」という言葉を冠しますが、吉田会長ご本人じゃあるまいし、私のキャリアにおいて人様に語れる経営実績はおろか経験もありませんから、吉田会長の持ちかけに対して当初は「無理です」とお断りしました。

ですが当時吉田会長はしつこく、いや粘り強く持ちかけられ、その時点で既に10年来の時間軸を経たお付き合いをしておりましたので私の本質を見抜かれていたのでしょう。
「君は人の心を動かす文章を書けると思うし、是非そうして欲しい」「君は書くべきだ」と私を上げまくり、アホな私がその気になって「おだてられた豚が木に上ってしまった」という感じで執筆を引き受けました。
当時のやりとりを鮮明に覚えておりますが、懐かしい限りです。

当コラムを執筆するにあたり、吉田会長から「無理のないように」と言われておりまして、第1回はそれこそ2時間くらいで書き下した感じでした。
皆様ご存じの通り、第2回から早速「走り過ぎた」次第です。
不思議なもので、一旦書くと決心すると、世間であまり注目されていない事項やトピックがふつふつと湧いてきます。
人様に見せる文章を書くとは、正確性は無論そうですが、何かこう「背筋が真っ直ぐになる」と申しますか、新鮮であり独特な感じです。そもそも見せられる体裁や内容になっていたか・・・が甚だ怪しいです。
無料・課金を問わず、読む人の一定時間を占有する訳ですから、このような私でも背筋が伸びます。

全12回のコラムの内、8月に発行することになる第8回「平和を想う」は、コラムを書くことを承諾した時点で「絶対に書いてやろう」と心に決めて構想を練っておりました(私の友人曰く「持ちネタ」だそうで・・・)。
そして、実は本回・第12回も書く内容はその時に決めていました。

コラムを毎月執筆している時のこと、確かその第8回発行の直後だったと思いますが、吉田会長から「この経営コラムは君の名刺だね」「コラムを読めば、君がどういう人かが詳らかに理解できる」と言われたことがあります。
自由奔放・勝手気ままに、型がない文章で思いつきを書き殴っていますので、取り繕っていないと言いますか、確かに鎧を着ていない。私が「何を尊び、何を尊ばないか」がハッキリ分かる裸の文章です。
そういう主旨で「名刺」と言われたのだろうと思料しますし、そのように吉田会長におっしゃっていただき、うれしかったことが思い出されます。

先ほど、「第12回は書く内容を決めていた」と申しましたが、それは、私と吉田会長との出会いや過去のやりとりを通して、経営のみならず私たち日々の生活においても背骨である「縁(えにし)」について考察することです。
誠に残念ながら直接語る前に吉田会長ご本人は逝ってしまわれ、何やら追悼文のようになってしまいますが、今一度、原点に立ち返る意味・意図において、書き記して参ろうと思います。

お付き合いいただけると、ありがたいです。
◆ジョンレノンミュージアム構想

私が吉田会長と最初にお会いしたのは、私が銀行勤務を辞めて前職のMT社傘下・投資銀行ブティックに在籍していた時期に遡ります。

埼玉・大宮にあるさいたまスーパーアリーナの一角に、ジョンレノンミュージアムがありました(2000~2010年の10年間)。
オノ・ヨーコ氏が毎年に12月8日(ジョンレノンの命日ですね)に大物アーティストを集めてジョンレノンの音楽カバーを行うチャリティーコンサート「ジョンレノン・スーパーライブ」を開催していた頃です。
2010年だったと思いますが、オノ・ヨーコ氏がミュージアム閉鎖を宣言されました。
実際、同アリーナの建築を行ったスーパーゼネコンT社とオノ・ヨーコ氏の間に確執があったそうで、同氏は一度もミュージアムを訪れなかったとお聞きしました。
そりゃそうです、「格闘技の殿堂」と「Love and Peaceの伝道師」ではテイストが違い過ぎます。
私はミュージアムに一度伺ったことがありますが、乾燥がひどく、展示物のギター等にひびが入った状態で管理が雑であると見受けられました。
その閉鎖宣言は、「永久に閉鎖」ではなく「新たな場所に移転」という文脈だったと記憶しております。

オノ・ヨーコ氏が「日本における同氏の代理人であり、ビートルズファンクラブの立ち上げ人であるH氏」にミュージアム展示物の管理を依頼され、そのH氏から吉田会長に「丸投げのような形」で相談がなされました(ここまでは吉田会長からお聞きした内容)。
その後、吉田会長が私の銀行時代の同志に相談を行い、「ジョンとヨーコの避暑地」であった長野・軽井沢のMPホテルの所有者であるMT社に相談したいということで、MT社グループの投資銀行ブティックに属していた私に白羽の矢が立ち、吉田会長が東京に来られて私と面談した、という経緯ですね。

吉田会長の私の第一印象は「口元が笑っても目が一切笑っていない人」、要するに「怖い人」です。 それまでも、特に大阪でこうした「目が笑っていない人」と多く出会いましたが、吉田会長の「それ」は一種独特・ユニークであり、容易に近づけない雰囲気を身にまとっていらっしゃいました。
ビジネスのスイッチが入った戦闘モードの吉田会長ですから、そりゃそうです。

結局、ミュージアム移転構想は、MT社グループのオーナー総帥が「興味が無い」ということで誠にあっさり流れました。
一方で、吉田会長から全く別の話をお聞きすることになります。
それが、現在、一般社団戦略総研として結実している、吉田会長や私の言葉で言う「戦略総研構想」になります。
◆戦略総研構想

私は、「中堅・中小企業向けのワンストップ支援」という永遠の難課題に対する構想を長年暖めていました。
社外の仲間と実際に行動したこともありましたが、上手く行きませんでした。
銀行在籍時代は言うに及ばず、前述のMT社グループ金融ブティック時代もそうでした。メガバンクや大手信託銀行、大手証券会社といった巨大金融機関は基本的に大企業を相手にしており、中堅・中小企業向けの「よろず相談窓口」を持っていません。
理由は単純で「細かい案件は儲からないし、多岐に渡る様々な経営課題を相談されても捌けないから」です。
最近でこそゼロ金利の金融環境で融資業務が儲からない地方銀行が、自らの存在意義を賭け地元企業に対しコンサル的な業務サービスを提供し始めていますが、その提供メニューは基本的に金融支援系であったりビジネスマッチング系であったりと、どうしてもメニュー自体に偏りが出ます。
会計士事務所等でも同様な思考をもって運営している所がありますが、最終的に本業に結びつける意図(=スケベ心)があるため提供メニューに偏りが生じます。
無論、そうした提供メニューを否定している訳ではありませんが、本コラムの読者の多くが経営実務家であることを踏まえてあえて「実務家目線」で申せば、包括的ではなく局所的であるが故にどうしても限界があるということです。

さらに、大阪をはじめ東京以外に目線を移した場合、独立系ブティックの競争状況は東京のような玉石混交状態でもなく比較的穏やかです。
「なぜ穏やかか?」の理由は簡単でして、「ワンストップ支援なんて『多岐過ぎでかつ難易度高すぎ』であり対応不能だから」、そして「手間がかかる割に儲からないから」です。
ですが、一定規模以上の企業は東京・地方の別なく相応に同様な経営課題を抱えており、合わせて地元(大阪)で専門家の参集を受けることも可能な訳でして、そうした課題に対処・対応できる仕組みに一定の需要がある、と私は「机上で」考えていました。

件のミュージアム移転構想が流れ、そこで吉田会長と「お別れとはならなかった」のは、まさに「中堅・中小企業向けのワンストップ支援」を(戦闘モードの)吉田会長が自らの言葉で私に語られたこと、しかもその構想を語る方が「(当時はセミリタイア中でしたが・・・皆さんがご存じのように)成功した経営者=実務家の第一人者」であったことです。
驚くなんてもんじゃない、私は驚愕した訳ですよ。当方も(机上でこちょこちょですが・・・)同じことを考えていましたよ、と。

更に更に、この手の「ワンストップ支援=コンサルの雰囲気がある支援」となると、当然ながら相応の「金の匂い」が付きまといます。
着手金が幾らだの何だの、話を進める前に一定金額を積め・・・とかいう話になります。
それはワンストップ支援をビジネスとして成立させるためには必要不可欠であることは子供でも分かることですが、一方のクライアント候補側からすれば「始まってもいないのに金の話をされて興ざめ」である訳です。
当然、クライアント候補側の信用状況によっては「引き受けられない=終末医療しかないので無理ゲー」ということもありますから、尚更のこと「金問題」には神経質になります。

この問題に対し、「当時新たな法律が施行されたばかりの営利を目的としない『一般社団法人という箱』でさまざまな分野の専門家や実務家を擁し、まずはクライアントの話を包括的に聞く体制を作る」という組織体制の話をお聞きして、「この人(=戦闘モードの吉田会長)はバケモノか?」と再び驚愕した訳です。
要するに、戦略総研構想は「中堅・中小企業向けのワンストップ支援」実現のハードルを下げるための解であった訳です。
確かに一般社団戦略総研は、それ単独では組織化されたソリューション機能を持っていませんが、いかなる経営課題であっても、それこそ一般的に馴染みが薄い知的財産権の活用とか、高度な企業法務対応といった専門領域であっても、専門家がアメーバのように陣営を組み換えて一次受けを行い方針決定まで対応出来る体制が整えられています。
クライアント候補からの「次の段階に話を進めて欲しい」との要請を受けた時点でビジネス案件と認識し、戦略総研の一線級の研究員等からチームアップして対応する訳ですね。
思えば、前述の私の銀行の同志も、こうした吉田会長と私の化学反応を見越して引き合わせたのかも知れません(同志Tよ、そうだろ?)。
こうして戦略総研を立ち上げ、多岐に渡る分野の一線級専門家にご参加・ご参集いただき、現在の戦略総研が形成されました。

私が本コラム執筆を始めた直後ですが、吉田会長から「君は戦略総研のCo-Founderを名乗って欲しい」と言われ、(当方はただの机上派なので・・・)誠に恐れ多いことでしたが、これまた吉田会長がしつこく(粘り強く)求められましたので、分不相応ながら名乗っている次第です。
◆大晦日の振り返り

吉田会長からご経験や過去エピソードを伺う中で、一番印象深く思い出す話が「大晦日に今年一年を振り返り、新年に向けて思いを馳せる」という話です。お聞きした「振り返りの評価軸」は概ね次の通りです。ご存じの方も多いかと。

① 経済的に豊かになったか?

② 人脈が増えたか?

③ 社会的な地位・名誉が向上したか?

④ やりたいことを実現したか?

これ、私の大晦日恒例行事と化しておりますが、毎年「いかに怠惰で堕落した非生産的人生であったか」を振り返るという無残かつ残酷極まりない結果となります・・・。この評価軸が万人受けするか分からないのでアレンジしていただいて結構ですが「ほぼ妥当だろう」と思料します。

これまでの平均的な自己総括を話しますと、

①はいつまでたってもさっぱり

②は既存関係の強化という意味で進展あるが、めざましい進展はなし

③は元来全く縁なし

④はハーフハーフ

といったところです。
①で結果が出ていないことが実務家として誠に「けしからん」限りです。

これら評価軸の意味について、私なりの解釈はこんな感じです。

・人間の豊かさは経済的なもの(①が相当)が全てではないが、一方で「貧すれば鈍」でも困る。しかしながら経済的な豊かさも「ある一定」を超えてしまえば一緒(1・2・3・沢山)であり、最後は何をやっても飽きてしまうのだろう(吉田会長は50歳で一旦セミリタイア(!)された後、平穏な日々に飽きて「やはりビジネスが一番面白い」と思い直され戦場に復帰されました。
かくいう私は「飽きた経験」がないので、悔しいかな「だろう」と推定するしかない・・・)。

・交流期間の長さを基軸とした信頼関係(②が相当)は、強固な信頼関係と心の豊かさや幸福感を与える(これは確信)。
感謝する・感謝されるは、(それが手段でない限りにおいて)人の根源的な喜びになると思料。
また、人には『得手不得手』があり、相互に「得手が(相手の)不得手を補完する」人間関係は心地よく、感謝を包含した場合には更に大きな幸福感が増大する。
無論、ビジネスの優勝劣敗は自明の理であるが、ともすると「その優勝劣敗を追求する」あまり、『得手不得手』の『不得手』に焦点を当て、補完行為自体が手段と化し、結果として人を無意味に傷つけることになりかねない(「何でこんなことも出来ねーのか?」的な)。
自分の『得手不得手』を客観的かつ謙虚に踏まえ、相手の『得手不得手』を組織や仲間内において相互補完する健全な協調関係を構築するが吉。

・社会的な地位・名誉(③が相当)は基本的に「客観的な価値基準」であり自己評価ではない。
良い評価も悪い評価も「全て他人からの客観的な目線」で決定されるものであり、自己に対する批判的評価も含めて、謙虚に「(甘んじて)受ける」度量が必要になる。
一種の自負と思料。

・やりたいこと(④が相当)は、モチベーションや本気度合いに関係するが、一方で「やりたくないこと」でも立場や役割上、もしくは使命として「やらねばならない」場合があるので、一概にモチベーションの有無では評価できない。
松本零士氏の劇画に「男(今風ではNG?)には、危険を顧みず、死ぬと分かっていても行動しなければならない時がある。
負けると分かっていても戦わなければならない時が・・・鉄郎はそれを知っていた・・・」(※)という名セリフがあるが、「生き方・価値観・立場・役割・使命」とモチベーションとが密接に連関している事例と思料。

(※)1979年公開の東映映画「銀河鉄道999」にて、主人公である星野鉄郎が、母親の仇である機械伯爵を惑星ヘビーメルダーで「たった一人で討ちにいった」ことについて、キャプテンハーロックが発したセリフ。

・・・とナマイキに書いてみましたが、全部簡単に出来ることではありません。

「なぜ簡単ではないか?」を考察すると、こんな感じではないでしょうか?

・ビジネス活動は資本主義活動なので、必然的に競争原理と無関係ではない。

・競争原理は優勝劣敗、即ち「勝者=上手く立ち回れる者」と「敗者=上手く立ち回れない・もしくは立ち回れなかった者」を必然的に生み出すため、帰結として特に敗者の側に感情の溝を生じる。

・人物評価に限らず、一般的な評価方式には「加点方式」と「減点方式」があるが、『不得手』に焦点を当てる評価は(個人的な経験上)「減点方式」になる傾向が強い。減点方式は、評価を与える・受ける双方にとってマイナス思念を生み出す。

皆さん自身、もしくは皆さんが属するコミュニティーにおいて、こうした「不得手に焦点が当たった場合の減点方式」に関し見聞きしたことがあるでしょうし、与えた・受けたといったご経験をされたことがあると思料します。
◆吉田会長の信条

私にとっては壊滅的かつ絶望的な「大晦日の振り返り」ですが、その振り返りにおける吉田会長の信条を私なりに解釈すると、メッセージの根幹は概ねこんな感じかな?、と思料していました。

・人が幸福に生きるということは、経済的は言うに及ばず、文化的な静謐(せいひつ)も大事である。
(吉田会長にとって、それは音楽であった(私はカラッキシなんですが・・・))。

・ある時「右脳系・左脳系の話」になり、私は「(思想は極右ですが)理系なので左脳系、右はゼロ」と自認していたが、吉田会長が笑いながら「いやいやいやいや、君は右脳系、右の方が強いですよ」と言われたことがある。
(音楽等の)文化的枠が欠如しているのに?、と思いましたが、要は「自己評価くらい当てにならないものはない」ということ。
客観視の重要性。

・(前述の通り)人の『得手不得手』に関して、集合知としてのコミュニティーは得手の集合体となる。
一定水準の価値観を共有する積極的な仲間集めが「得手の集合知」を実現する。
「得手の集合知」を一歩進めれば、コミュニティーにおける各々の役割や立場が明確になる。

・当該コミュニティーに「入ってくる人」もいれば、様々な理由により「出て行く人」もいる。
人それぞれのバックグランドも異なれば主義主張も異なる。たとえ「袂を分かった」としても、感情的な対応はしない。
分け隔て無く、笑って送り出す。

・人は失敗をする。失敗は失敗として、特に若い人に対しては「許す度量」も必要だし、優勝劣敗の劣敗側に対しても「暖かい度量」が必要だ。

今、このコラムをお読みのあなた、思い当たることが沢山ある筈です。

そして、私が初めて吉田会長とお会いした時の印象である「目が笑っていない人」と、こうした「優しさに満ちあふれている人」の間にはルビコン河が流れていますが、それはなぜなのか?

●サンワールドの旗
「サンワールドの旗」という意匠があります。



吉田会長曰く、ミッションである「陽の当たらないところ(弱者、ベンチャー、地方等)を対象に、強烈な光をもって明るく照らし、平等な世界を作り上げる太陽」を意匠化したもの、文字通りのSUNWORLDです。

理念・考え方は「愛こそすべて(All You Need Is Love)」であると(私の言葉ではないので、私が言うとなんだか嘘くさいですね)。

そして行動指針は「3つのP」であると。

① Project発信者であれ:
社会が何を求め、その求めに対して我々がどのように行動するべきか常に考え、自らの手で仕事を創造しよう。

② Producerであれ:
仕事は1人では出来ない。
それぞれの分野のプロフェッショナルを見極める目と、プロを巻き込んで動かす行動力、そして目標達成への信念をもって仕事を最良の結果に導こう。

③ Good Personalityであれ:
全ての仕事は人と人との良い繋がりが最良の結果を生み出す。
使命感を持ち私利私欲を捨て、時には、自分の意見を主張しつつも他人の気持ちを推し量り行動しよう。

この③のPersonalityの説明が面白いので覚えています。
(吉田会長、間違っていたらゴメンナサイ)、義理人情浪花節のように他人のために身を捨てる覚悟を持った人物であるとか、自分を飾らず裸になる勇気(私の言葉で言えば「チンピョロスッポーンになる」(by サルでも描けるまんが教室))、感謝、謙虚さ、他人を尊重するバランス感覚を持った人物。

旗の意匠は行動指針の「3つのP」を3本の矢に見立てており、「スピードは利益」「真剣さは魔力」を表していると。
そうです、これまで当コラムで断片的に話してきたことをまとめ上げた感じですね。私は「真剣さは魔力」という言葉が特に気に入っており、確かに自分が寝食を忘れたタイミングのトランス状態は呪術的な魔力って感じの経験があります。
◆実務家の得手不得手を補完するコクリワーク

吉田会長と「得手不得手の補完」をお題に会話していた時、くしくも水滸伝の話になったことがありました。
皆さんは水滸伝をご存じでしょうか?、人によっては小説家・北方謙三氏の「(ハードボイルドな)水滸伝」を読まれたことがあるかも知れません。

この水滸伝には「梁山泊(りょうざんぱく)」という場所が登場し、この梁山泊に108人の英雄豪傑や賢者が集まります。
集まった理由は横に置いておいて、108人の一人ひとりが「抜きん出た能力」を有しています。
武術に長けているとか(軍師的な)戦略眼があるのは分かりやすいですが、単に「足が速い」とか「泳ぎが上手い」とか、そういう一芸も「抜きん出た能力」として描かれます。
たった108人しかいないのに敵対するのは当時の帝国ですから、特定の場面において、各自の特殊能力を「組み合わせる=補完する」ことで様々な難局を切り抜けることになります。
小説と言ってしまえばそれまでですが・・・。
要するに、集合知としてのコミュニティーを作り上げるということです。
吉田会長とは、「得手不得手の補完」を行う場として、具体的にコワーキングスペースを考えました。

通常のコワーキングスペースビジネスと言えば、不動産業者が「空いたビルスペース」を活用するビジネスモデルであり、立地や施設実装物のアメニティーといったハードウェア的な支援をセールスポイントにするものが主流になっています。
大阪でビジネス街と言えば、本町や淀屋橋といった街区になりますし、そういう場所にはこうしたコワーキングビジネスが存在していることはご存じでしょう。
コクリワークの場所が四ツ橋(堀江)なのも、立地を前面に押し出していないからです。

吉田会長と考えたのは「ビジネスの梁山泊」を作り上げることであり、集まった実務家が互いに人脈や経験値を持ち寄って補完し合いながら自らのビジネスの幅を広げる「場」を提供することです。
ハードウェア的な支援よりもソフトウェア的な支援を主軸に考えるとは、言い換えれば、ともすれば孤独になりやすい実務家をコミュニティー全体として支援することです。

そうしたコクリワークの設立理念や狙いを関西みらい銀行様にお伝えし、ご賛同を得て業務提携を締結していただいた、という経緯もあります。
起業間もない実務家にとって銀行はなかなか「敷居が高く」、容易に仲良くはなれません。
私も銀行を辞めて「銀行の敷居の高さ」を感じるようになり、経験者ですらそんな感じですから未経験者は言わずもがなです。
関西みらい銀行様の側から「当方側に歩み寄って」いただき、金融実務面を含めた有形無形なサポートをお願いする、という構想ですね。

さて、得手不得手の要因とは具体的には次のように考えられます。

・先天的側面:その人の性格やパーソナリティー

・後天的側面:経験や環境から学習して体得したもの

前者は議論の余地無く「その人らしさ」と言うべきものです。
後者は、我々が学生および社会人として生きてきて、関わった業務や経験、知識やノウハウ、知り合った人間関係を基軸としたものであり、我々の本源的な能力というべきものです。

かく言う私ですが、社会人になって以来、基本的に「一人業務企画=One Man Army」の経験が圧倒的に長いので、他者とのチームプレーや他者ネットワークを広範に駆使した全方位営業が苦手です。
全方位営業が得意な方は、私が得意な「One Man Army」が苦手の方がいらっしゃいます。
どっちが優れていると言う議論ではなく、後天的側面、過ごした時間や経験の背景が異なるという話です。

別の観点で、専門家の「専門性が過ぎる」と、一般の理解レベルを置き去りにした自己満足的な独演会になるケースがあります。
この場合、突っ走った専門性と一般の理解を「橋渡しする=翻訳する」ことが必要になりますが、私の背景から専門性翻訳も私の得意分野です。
好奇心丸出しで知らない話に首を突っ込む性分なので、性分が「プラスに働いている」のだろうと思料します。

また、まだ柔らかい「像を結んでいない」不安定な人間関係において「相手をこっちに向かせる」という能力もありますよね?
大勢の前で話が出来る能力と言いましょうか。私はさっぱり無能です。

もっとも、私の全ての職歴において、私は組織の看板の下におりましたので、決してOne Manではありません。
組織を形成する多くの仲間の有形無形の支援なくして、私のOne Man Armyは成立しません。人は一人では生きられませんから、相互に助け合い補完することが「最良の結果」を生み出すことにつながります。

前述の「3つのP」を実現すること、様々なスキルを持つ実務家が梁山泊のようなコミュニティーを作ることと、専門家が一般社団戦略総研の下に参集していることは、「補完」という本質的意味において一致しています。
吉田会長の信条「サンワールドの旗」とは「補完された集合知」を表していると思料します。
◆多様性を認め合う強さと優しさ

少し言いにくいことに触れます。
再掲しますが、ミッションとは「陽の当たらないところ(弱者、ベンチャー、地方等)を対象に、強烈な光をもって明るく照らし、平等な世界を作り上げる太陽」ですが、第5回のコラムで触れたように私の言葉で言えば「声が小さい少数派の意見にも耳を傾け尊重する」ということです。

コクリワークであれ戦略総研であれ、多種多彩な人間が集えば、時間の経過と共に必然的に考え方等の相違点が生じます。
場合によってはコミュニティー等の範疇から「退出する人」も現れますが、それは仕方の無いことであり、前述多様性の延長線上の話に結びつきます。

「退出した人」については「個々の事情や考え方が噛み合わなかっただけ」と割り切ればいいだけです。
しかしながら、私が見た中でかつて「袂を分かつ」ステージまでの関係となったケースがありました。
それは単に合わなかっただけでありお互い様の筈ですが、陰であれこれ言っていることが耳に入ってくるケースも見られました。
それはフェアでも上品でもありませんし、言いたいことがあるならば面と向かって直接言えばいい訳です。
実際、私が相手方に直接モノを申しに行き、双方の感情的なしこりを沈静化させるケースもありました。

こうした「袂を分かつ事例」が発生した時、吉田会長は(裏で当方側の陰口を言っている人でも)袂を分かった人の今後の成功を願っていることを穏やかに話されていたことを思い出します。
真の強さとは、そして真の優しさとは・・・こういう度量の大きさであります。
度量が「猫の額より小さい」私たちには、もっともっと激しい修行が必要なようです・・・。
◆吉田会長が私たちに伝えたかったこと

吉田会長と私との最後の会話は、昨年7月にお電話を頂戴した時になります。
電話口で「君とビジネスの●●組(義理人情の文脈から察して下さい)を作れなかったことは残念だし無念だ」と言われたことが心に深く突き刺さっています。
心から抜けないですよ、私も最大級に無念です。

この「ビジネスの●●組」とは、コクリワークや戦略総研のような集合知コミュニティーを更に一歩進めて、コミュニティー内において実務家が他の実務家を「牽引して」コミュニティー全体のビジネス価値を高めるという仕組み・企てを指しています。
具体的に、牽引する対象物(=ビジネス内容)、牽引する・される実務家のセットが重要です。
通常、牽引する対象物は、牽引される実務家のビジネス内容になるでしょう。
吉田会長から直接お聞きしたことですが、かつて通称「吉田塾」という「実務家向け『虎の穴』」があり、塾卒業生の多くが事業で成功され公開企業を輩出しました。
このコラムをお読みの方の中には、このくだりを懐かしく思い出す方がいらっしゃるでしょう。
例えば、こうした吉田塾の卒業実務家が(現在の)塾の塾頭となり、無理のない範囲で若い実務家を牽引するようなこともアイデアの一つとして想定しておりました。
無論、牽引される実務家には相応の謙虚さや熱意、真剣さが求められます。
「真剣さは魔力」ってやつです。

吉田会長は、常日頃から「角砂糖戦略」という言葉で、魅力有るもの(=角砂糖、場合によっては牽引する対象物)に人(=実務家)が参集し、更なる情報やビジネス(=もっと大きい角砂糖)が生み出され、更に新たな実務家も集まり、かつて牽引された実務家が新たな実務家を牽引する側に回るという好循環戦略を語られていました。
(当たり前ですが)ビジネスにおいて「角砂糖は何か?」は絶対不可欠ですが、私たちは動物ではありませんから「角砂糖に集まる私たちは『何をミッションとして行動するか?』」という理念も同時に絶対不可欠です。
ゆめゆめ「他者を利用して排他的に自分の価値最大化を図る」といった利己的かつ近視眼的なものであってはなりません。
利己主義の固まりであるアメリカ資本主義ではありえないことであり、私たちの日本の資本主義と言うべきものですが、なかなか説明しづらく、理解が困難であり、ともすれば「美しい補完=一方的な利用と搾取」という誤解を生みやすい所であります。
しかしながら前述ミッションや「3つのP」からも「コミュニティーはおろか社会を照らし出す太陽」という文脈から、角砂糖戦略とは高潔な理念を身にまとっていることは自明の理であり、アメリカ資本主義的な誤解は杞憂です。

そして、その牽引する対象物や角砂糖として、吉田会長ご自身のご経験があるプロパティー(Property)に着目されていた訳です。私の言葉で表現すれば、このプロパティーは世間一般に語られるプロパティを部分集合として包含しますが、「人が集まる」という主眼の下、「様々な実務家のビジネスモデルや既存・新設のプロパティを一つにまとめたコンセプトとしての集合知」を指しています。
「無から有を作り上げるダイナミズム」と言いますか。 無論、コクリワークもその実体は単なるコワーキングスペースではなくプロパティです。

吉田会長は、実務家をアーティストと言い換えられていました。
ビジネスを立ち上げる行為と、創造する行為とは同じであるという文脈です。
他の実務家の後塵を拝すのではなく自らが革新的なフロントランナーとして疾駆することは、アーティストの創造活動と完全に一致します。
繰り返しますが「無から有を作り上げる」ということです。
アーティストの世界でインスパイア(inspire)とかオマージュ(hommage)という言葉があり「尊敬・敬意を持った影響」を意味していますが、私は先ほどの「牽引」と同値であると思料していました。

このように吉田会長と私の縁(えにし)を通して私なりに信条やミッション、「3つのP」を理解した上で、これまで執筆した各回のコラムの随所に自らの言葉として散りばめてきた次第です。

吉田会長は太陽系の中心に存在する太陽であり、縁(えにし)により接点を持ち、もしくはすれ違った私たちは太陽を喪失しました。
突然の喪失は無情であり悲しい。

ですが、吉田会長との縁(えにし)は、喩えるならば「荒れ狂う海の闇夜を切り裂き、船を港へと導く灯台の光」のように、ビジネス実務という闇夜を照らし導く灯火(ともしび)として私たちの心の中に灯り続け、加えて強さと暖かさを保持し続ける羅針盤であると確信します。
縁(えにし)を胸に刻み今後の実務家人生を歩んでいくこと、そのことが私たちに様々なこと(灯火であり羅針盤)を教えてくださった吉田会長に対する(表層ではない)「真の感謝の表明」であると確信します。

「サンワールドの旗」は私の心の中ではためき続けます。 そして、決して降ろしはしない・・・。

「旗」っていうと、私の刷り込みでキャプテンハーロック風になってしまいますが、私の信念として堅持して参ります。

最後に、吉田会長の安らかなご冥福を祈り、本コラムを終了させていただきます。 お付き合いいただき、ありがとうございました。