第6回 |コラム澤口 「建前と本音のせめぎ合い(その1)」           

一般社団法人 日本事業戦略総合研究所(co-founder)、理事の澤口です。
全12回シリーズで、個人的に興味深かったことについて、自由気ままに書き綴って参りますので、お時間がある方はお付き合い下さい。


今回の第6回のお題は「建前と本音のせめぎ合い」です。

お題を考察する題材として、2016年5月27日に当時のアメリカ大統領であるバラク・オバマ氏が広島の平和記念公園を訪れてスピーチした内容を取り上げます。

内容が大量ですが、全てを精緻に見る重要性に鑑み、第6回(今回)と第7回(次回)の二部構成とします。

「精緻に」と言いましたのは、これまでの同スピーチの解釈および評価が「単なる英文解釈の域を出ずに精緻かつ適切に行われていない」と個人的に思料しているからです。
言わずもがな、我々は日々「建前と本音」を使い分けています。

建前とはいわゆる正論でしょう。
人間は「赤い血が流れる感情の動物」ですので、正論だけでは物事は上手く進みませんよね。

一方で、本音は個人のエゴ(わがまま)と呼ぶべきものでしょうか。
エゴでは身内の(会社)組織はおろか赤の他人の第三者との信頼関係は構築出来ません。

(当たり前ですが)我々は建前と本音の両論を併記し、そのトレードオフを個別場面で調整していることになりますよね。
しかしながら、これまでのコラムで触れてきたように有事というべき事態は我々に時間的猶予や精神的安寧を与えませんから、「両論併記」なトレードオフなんて悠長は許容してもらえません。

その時、我々は、トレードオフの先に「価値観や解釈、はたまたロジックを転換する」という工夫を持ち出します。

言うなれば暴挙です。
正論で物事が進まない本質を「何かのせい」にしてみたり、建前論で若干サボタージュしてみたり・・・と。

世の中は完全無比に強い人ばかりではないですし、私も愚鈍な一般市民でありますが、こうした暴挙は物事を進める上での潤滑油であり、生きる知恵(と言ったら言い過ぎか?)であると「こじつけ」で思料します。

ですが、所詮、暴挙は暴挙でしかなく説得力がありません。
子供の遊びじゃあるまいし暴挙が際限なく認められる訳はない、暴挙の中に一定のせめぎ合いがあってしかるべきですよね。

こんなことをつれづれに考えていた時に、前述のオバマ大統領の広島スピーチを思い出しました。これこそ「建前と本音の正面激突」を高度な思考で乗り越えた作品だったからです。
当時、オバマ氏の広島訪問は世界的な注目を集めました。
なにせ核攻撃を行った国であるアメリカの大統領が世界的な「被爆のモニュメントの一つ」である広島に入るということ、加えてスピーチを行うとのこと・・・。

広島および長崎への核攻撃は非戦闘員(=兵士ではない)に対するジェノサイド(=大量殺戮)であり、一点の曇り無く人類に対する戦争犯罪であるとアメリカ以外で世界的に認識されております。

しかしながら、結局はいかなる人物・組織・国家も裁かれることがなかったといういわく付きです。かのオッペンハイマーが「原爆の父」と揶揄されたぐらいです。

そして、アメリカ大統領が被爆モニュメントの広島でスピーチを行うという歴史的イベントの価値は言わずもがなとして、「そもそもどういうスピーチをするのか?」に注目が集まっておりました。

想像して下さい、自分がアメリカ側の人間としてスピーチ原文を起草するとしたら・・・、難しいですよね。
当然、アメリカ政府は当該スピーチ作成に神経を使い果たしました。
それこそ「アメリカ政府各省のエリート達が『寄ってたかって』推敲を重ね、文意は言うに及ばず、文法・語法において一点の曇り無く正しい公式見解」が練り上げられました。
最後はオバマ大統領自らが筆を入れたと報道されました。

スピーチは日本人が読むことを前提としており、アメリカ政府が日本国民を通じて世界に発信するため簡潔に書かれており、いろいろな示唆(ここではこの表現に留めます)に富んでいます。

しかしながら簡潔過ぎて構文が難解であり、更に高度なレトリックを頻繁に使うため行間を読み切る必要があるので、実は理解するには非常に難解な文章になっています。

その結果かどうか分かりませんが、日本のマスコミや一般日本人、はたまた英語教育者にしろ、スピーチ原文の解釈はおろか、その作成の目的や経緯に肉薄していない印象を持っております。
先に言いましたが本スピーチは「アメリカ政府の日本国民に対する公式メッセージ」という重要な側面がありますし、前述作成経緯を踏まえると、本スピーチに対するこうした扱いは極めてもったいないと思料します。

更に、これは触れたくありませんが、新聞社等の名だたる日本のマスコミが「スピーチの英文解釈」を公表しておりますが、なにやら「大学入試の出来損ないの答案」を見せられるようで、アメリカのエリート達が文意や語幹に込めた「ギリギリの暴挙」を日本語に適切に落とし込んだ解釈に乏しい印象を持っております。

個人的には、通称「英語使い」の統合言語能力の限界を垣間見て暗澹たる気持ちになったことも記憶しております。
そもそも構文も含めて誤訳が多すぎる。

他者の非難はこの程度で、今回および次回のコラムは、スピーチに込められた「建前と本音」の高度なせめぎ合いを紐解き、我々のビジネス世界における「(前述)暴挙遂行への示唆」を追求します。
かの故伊藤和夫先生が私の解釈文を読まれたら「稚拙!」と言われるかも知れませんが、今回も大真面目に向き合って参ります。

なお、冒頭で注意書きを記しますが、もし今回および次回のコラムを「大学入試の受験生」が読まれるとするならば、私の解釈の真似をしない方が賢明です。
そもそも私は英語の教育者ではなく、そして大学入試における英文解釈は「文法および語法の正確解釈」が求められ、解釈文(日本語)の旨さは求められていないからです。
文外の歴史的背景を補うなど「もってのほか」です(×になりますよ)。

それでは長丁場になりますが、お付き合いいただけると幸いです。
◆アメリカ世論における原爆攻撃の正当性について

アメリカ世論において「原爆使用が太平洋戦争の早期終結の役に立った」と広く考えられていることについて、多くの方がご存じであると思います。

昭和20年4月から始まった沖縄における組織的戦闘は日本の民間人9万4千人を含む約19万人(総務省HPより引用)の犠牲を強いた強烈無比な悲劇として記憶されておりますが、一方のアメリカ軍側も約2万人弱の戦死者を出したという事実を日本側はあまり認識していないようです。

当時の日本無条件降伏までの軍事作戦行動を考えた時、当然、沖縄の次は日本本土に対する上陸作戦が待っておりますが、仮にアメリカ軍が上陸作戦を敢行した場合に覚悟しなければならない損耗(死傷損害)は実に25万人と見積もられていました。

この数字は原爆投下を裁可した(と言われる)大統領のトルーマンの回顧録に記述があります(あのトルーマンのことですから、どこまで根拠があるか分かりかねますが・・・)。

そしてこの人的損害の見積もりは、民主主義国家であるアメリカにとって容認できる数字ではありません。
神風特別攻撃の存在や、沖縄の前哨戦となった硫黄島を巡る戦い、そして沖縄・・・それまでの日本軍との戦闘を通じて「最後の一兵まで戦闘を諦めない」という日本に対する「恐怖の印象」がアメリカ軍側に蔓延していたことは事実です。

1945年(昭和20年)8月6日の広島原爆投下、9日の長崎原爆投下の後、同日9日未明からのソ連の対日参戦を受けて15日に無条件降伏したことは歴史の事実ですが、水面下において昭和20年の初頭から陸海軍および昭和天皇が「国体維持」を条件とした無条件降伏を検討していたことも歴史の事実です。
そうなると、アメリカ世論における「原爆の正当化=原爆が戦争を終わらせた」には、日本側は無論のこと、アメリカ側でも議論があってしかるべきです。
つーか、もっと日本人が発信すべきです。


2003 年 12 月 15 日に、スミソニアン航空宇宙博物館別館であるスティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センターの開館に合わせて、広島への原爆投下機であるB29エノラ・ゲイが同別館に常設展示されることとなり、アメリカ国内で多くの議論を巻き起こしました。

多くの議論が起きるとは大量の反対意見が出たということであり、日本人には到底理解出来ないことです。
原爆のキノコ雲の下での地獄絵図から目を背け、原爆に愛着を持ち「誇るべき兵器」だと考えているアメリカ国民が多く存在することの傍証ですね。

近年の事実検証から「原爆投下不要論」を唱える歴史学者が多く存在し、若者を中心に歴史検証や社会的議論が行われていますが、一般的なアメリカ人の理解を得て「正当性を再考してもらう」ことが現実的に難しいことも事実です。


この「原爆投下が本土上陸の地上戦に至らず、多くのアメリカの若者の命を救った」という意見を私は一寸も受け入れることは出来ませんが、信者といたずらに衝突するのではなく、多様性尊重の観点から耳を傾けることも大切であると思料します。


オバマ大統領のスピーチは、頑迷な「正当論」を主張する退役軍人に配慮する必要がある文章ですから、本テーマの「建前と本音を巡る暴挙」にはぴったりな素材です。
◆なぜ、オバマ大統領は広島に来たのか?

外務書のHPから「オバマ大統領広島訪問の評価」を抜粋すると、
現職の米国大統領として初となるオバマ大統領の広島訪問は、戦没者を追悼し、「核兵器のない世界」を目指す国際的機運を再び盛り上げる上で、極めて重要な歴史的機会となった。
同時に、戦後70余年の間築き上げられてきた日米同盟、「希望の同盟」の強さを象徴するものになった。
と、当たり障りのない掲示がされております。
要は日米同盟の結晶という説明がなされています。

オバマ大統領の広島訪問と、2016年12月28日の(当時の)安倍首相の真珠湾・アリゾナ記念館訪問はセットであり、双方の首脳が相手方に対して「謝罪なき哀悼の意の表明」を交互に行ったことが日米同盟の礎として説明されている訳です(まさに大人の事情です)。

アリゾナ記念館は真珠湾攻撃で沈没・着底した戦艦アリゾナの上にあり、今なお艦内には未収容の戦死者が眠っている鎮魂の場所です(現在も艦から油がしみ出しているそうです)。
無論、大人の事情とは別に、バラク・オバマ氏ご自身の核軍縮に対する思いがあり、それはスピーチにちゃんと込められています。

核軍縮が偉大なる正論であることは子供でも分かる話ですが、一方で継続した「削減への歩み」を続けることは必要な建設的議論です。
核戦争が「勝者不在の戦争」であると分かっていますから。
◆スピーチ作成の経緯

スピーチを書いたのは、当時若干38歳のベン・ローズというオバマ大統領の側近です。
ローズ氏はスピーチライターとしてオバマ大統領の原稿を書くだけでなく、海外出張や相手方とのコミュニケーション戦略を立てるという役割も担っていたそうです。

同氏はスピーチライターになるまで小説家を目指していた異色な経歴の持ち主ですが、あの9.11を目撃して文学から政治の道に転身されたそうです。
文書の力に目覚めたという感じでしょうか?

スピーチ原稿は同氏が起草し関係省庁が推敲、更に同氏が推敲を施し、最終的にオバマ大統領が筆を入れたそうです。
実際のスピーチの映像を見ると、スピーチ原稿にメモが書き込まれていることが確認出来ます。

スピーチ起草の大方針は、後のメディアの取材にローズ氏が以下の通り答えています。
スピーチを解釈する上で大変重要です、頭に置いて下さい。
  • ・アメリカが核兵器を使うに至った決断について触れることなく、人類の共通の未来に対するビジョンを示し、戦争=破壊的行為が人類にもたらす犠牲にスポットライトをあてる。
  • ・アメリカが人類史上「核兵器を使用した唯一の国」として、核兵器の根絶による平和と安全な世界の実現を推し進める特別な責任があることを明言する。
  • ・かつての対戦国同士が、強固な同盟関係を築くに至っていることを表明する。
◆スピーチを解釈する

それでは、次回に渡ってスピーチ全文の解釈を試みます。ネット上に各社の解釈文が掲載されていますので、比較して読まれることをオススメします。
(原文)
Seventy-one years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.
(解釈)
71年前の晴れた朝のこと、空から死をもたらすものが舞い降り、そして人類の世界は変わってしまいました。
閃光と熱線の衝撃波は街を破壊し尽くし、同時に我々人類が自らを破壊する術を手にしたことを示したのでした。
(補足)
deathとは原爆リトルボーイのことであり「死をもたらすもの」と解釈した。
原爆は人の手で落とされたので自動詞fallは落ちるではなく(詩的に)「舞い降りる」と解釈した。
a wall of fireは「炎の壁」では意味が通じないので実態に即して「熱線の衝撃波」とした。
city = Hiroshimaなので、不定冠詞aの意図、即ち「定冠詞theではない理由」が分からないが、察するに詩的な出だしなので敢えて抽象的にしたと考える。
等位接続詞andは「同時性」と解釈した。
(原文)
Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed in the not so distant past. We come to mourn the dead, including over 100,000 Japanese men, women and children, thousands of Koreans and a dozen Americans held prisoner.
(解釈)
なぜ我々はこの地、広島を訪れるのでしょうか?
我々は、それほど遠くはない過去において、この地で破壊的な力が解き放たれた事実に思いを馳せるために訪れるのです。
我々は、10万人に上る日本の老若男女、数千人の朝鮮半島の出身者、そして数十人のアメリカ人捕虜を含む死を悼むために訪れるのです。
(補足)
自動詞comeを「訪れる」で統一した。
to以下は典型的な不定詞目的格用法であり、Whyを受けて素直に「・・・のため」と解釈した。
ponderは「思いを馳せる」とした。
includingは前置詞用法(・・・を含む)。
Koreansは朝鮮半島の出身者(Koreanと区別)、prisonerは「捕虜としての囚われの身」の意。
(原文)
Their souls speak to us. They ask us to look inward, to take stock of who we are and what we might become.
(解釈)
犠牲者の魂が我々に語りかけます。
もっと内なる人間の本質に目を向け、我々人間が何者で今後どうなるべきかを見定めるため、自分たちの死を無駄にしないで欲しいと問いかけています。
(補足)
ask O to do:頼むなので「死を無駄にしないでくれと問いかける」と意訳した。
inwardは前置詞inをもっと内向きに表現した前置詞であり、後述となる「戦争の本質的原因=人間の本質」を意識して「内なる本質」と解釈した。
take stock of:見積もる=見定める。
(原文)
It is not the fact of war that sets Hiroshima apart. Artifacts tell us that violent conflict appeared with the very first man. Our early ancestors, having learned to make blades from flint and spears from wood, used these tools not just for hunting but against their own kind.
(解釈)
広島を特別にするのは何も戦争があった事実ではなく、初期の人類から暴力的な紛争は行われていたことは遺構が示しているところです。
火打ち石から刃を、木片からやりを作ることを学んだ我々の祖先は、こうした道具は単に狩りだけではなく同族の人を殺すことに使用しました。
(補足)
it is … that:強調構文。
artifact:世界中に残されている紛争の遺構。
tell O O:第4文型です。
appear with:一緒に現れる=見ることができる。
having …:分詞はancestorsに掛かる。
not A but B:AではなくB。
against their own kind:彼ら自らの種に対してから「同族の人」と意訳した。
(原文)
On every continent the history of civilization is filled with war, whether driven by scarcity of grain or hunger for gold, compelled by nationalist fervor or religious zeal. Empires have risen and fallen, peoples have been subjugated and liberated, and at each juncture innocents have suffered — a countless toll, their names forgotten by time.
(解釈)
どの大陸においても人類文明の歴史は戦争に満ち溢れており、穀物の不足や富への欲望を原因とした戦争や、あるいは国粋主義の狂乱や宗教的熱情にせきたてられた戦争が起きました。
帝国は台頭と衰退を繰り返し、人々は支配されあるいは解放されました。
そしていずれの動乱期においても罪のないひとが苦しみ多くが犠牲となりました。
そして犠牲者の名前は時の経過と共に忘れられました。
(補足)
driven by A or B:AやBを「原因とした」。
他動詞compel:強いるから「せきたてた」と解釈。
他動詞subjugate:服従させる。
他動詞liberate:解放する。
juncture:接続から各台頭・衰退の時代の「動乱期」と解釈。
a countless toll (for innocents):(罪のない人に対する)無数の鐘の音から「鎮魂の鐘=犠牲になった」と解釈した。
by time:時の経過と共に
(原文)
The World War that reached its brutal end in Hiroshima and Nagasaki was fought among the wealthiest and most powerful of nations. Their civilizations had given the world great cities and magnificent art.
(解釈)
広島と長崎で残忍な終焉を迎えた世界大戦は最も裕福で力のある国々によって戦われたのですが、これらの国の文明はすばらしい都市を築きあげ、壮大な技術を生み出した国家でもありました。
(補足)
不可算名詞artは文意から(専門的な)技術と解釈。
had given the world great cities and magnificent artの過去完了時制から、世界大戦前に築き上げたと解釈する。
「馬鹿な戦争をしでかした国家は立派な国家でもあった」という皮肉。
(原文)
Their thinkers had advanced ideas of justice and harmony and truth, and yet the war grew out of the same base instinct for domination or conquest that had caused conflicts among the simplest tribes, an old pattern amplified by new capabilities and without new constraints.
(解釈)
そうした国々の指導者たちは、正義、調和、真実という先進的な考え方を生み出しましたが、同時に戦争をも生み出したのです。
生み出された戦争は、最も単純な部族間の争いの原因であった支配や征服に対する基本的な本能から同様に生み出されたものであり、人類が新たに獲得した技術能力は昔も今も変わらない人間の本質である支配や征服への本能を増幅しこそすれ、あらたな戦争への歯止めになることはありませんでした。
(補足)
非常に抽象的な言い回しなので直訳では意味が通らない。
まず、justice and harmony and truth, and yet the warの並列構造を理解する(and yetが教えている)。
grew out of …以下がthe warに掛かる修飾句である「…から生じる」。
the (same) base instinctが核であり関係代名詞thatの先行詞になっていることに着目する(先行詞と関係代名詞thatが離れている)と「最も単純な部族間の争いの原因であった支配や征服に対する基本的な本能」と読める。
関係詞節内の時制が過去完了なので、部族間争い=大昔、国家間戦争=近過去と時間軸の前後を読み解く。
前述のinwardである人間の本質の部分は昔も今も変わらないという文意に解釈する。
そうすると形容詞sameの意味も部族も近代国家も同じと解釈できる。
new capabilitiesは前文のartから「人類が新たに獲得した技術能力」と読み解き、an old patternは「昔も今も変わらない人間の本質(本能)」と解釈、without (new) constraintsは歯止めが掛からない=技術が軍事転用され歯止めが掛からないと解釈する。
(原文)
In the span of a few years some 60 million people would die: men, women, children — no different than us, shot, beaten, marched, bombed, jailed, starved, gassed to death. There are many sites around the world that chronicle this war — memorials that tell stories of courage and heroism, graves and empty camps that echo of unspeakable depravity.
(解釈)
ほんの数年の間に6,000万人の人たちが亡くなりました。
私たちと寸分違わない同じ老若男女です。
銃で撃たれ、殴られ、行進させられ、拘束され、飢え、毒ガスで殺されました。
世界中には戦争を記す場所や勇ましく英雄的な行動を伝える慰霊碑がありますが、戦争犠牲者の墓所や空虚な収容所のように筆舌尽くしがたい蛮行が肌に伝わってくる場所も存在します。
(補足)
different than:アメリカ英語の語法であり「単に異なる」のではなく「全てが異なる」のニュアンスを持つので否定表現(no different)で「寸分違わない」と意訳した。
他動詞chronicle:記録する。
empty campsは明確にアウシュビッツ収容所等の根絶収容所を意識。
自動詞echo:反響するから「恐ろしさが肌に伝わってくる」と意訳した。
(原文)
Yet in the image of a mushroom cloud that rose into these skies, we are most starkly reminded of humanity’s core contradiction — how the very spark that marks us as a species, our thoughts, our imagination, our language, our tool making, our ability to set ourselves apart from nature and bend it to our will — those very things also give us the capacity for unmatched destruction.
(解釈)
しかしながらこの広島の空に立ち上ったキノコ雲の映像を見る時、我々は人類の本質的な矛盾を強く突きつけられるのです。
我々を人類たらしめる才能、思考、想像力、言語、道具を作る能力、そして、我々自身を自然から区別して我々の思いどおりに自然を変える能力。
まさにこうした能力が、同時に私たちに圧倒的な破壊力をもたらすという矛盾です。
(補足)
these skiesは「今いる」広島の空を指している。
remind A of Bの受動態化。
前述のinstinctとhumanity’s core contradictionが一致している。
howは接続詞的な用法「・・・であるということ」、名詞(句)が並列されている。
tool making:工具作成だが並列している名詞が能力なので「道具を作る能力」とした。
give O O:第4文型。
unmatched:無比の。
(原文)
How often does material advancement or social innovation blind us to this truth? How easily do we learn to justify violence in the name of some higher cause? Every great religion promises a pathway to love and peace and righteousness. And yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith has a license to kill.
(解釈)
我々人類が、物質的進歩や社会的革新と通じて、こうした人間の矛盾という真理を意識しないことは何度繰り返されてきたでしょうか。
「崇高な理由がある」という名の下に暴力を正当化することはどれほど安易なことでしょうか。
すべての偉大な宗教は愛や慈しみと公正さに導くことを約束していますが、同時にいかなる宗教も「我々の信仰は異教徒を殺すことが許されている」と主張する信者一派から広まってはならないのです。
(補足)
truthは前文のcontradictionを受けて「人間の矛盾という真理」と意訳した。
無生物主語を日本語に合わせた。
a pathway to:…への道=導き。
4番目の文は世界大戦とテロとの戦いが混在した部分。
believers who have claimed (that) their faith has a license to kill (their heathens)はテロリストを意識した表現なので異教徒を補完した。
(原文)
Nations arise telling a story that binds people together in sacrifice and cooperation, allowing for remarkable feats, but those same stories have so often been used to oppress and dehumanize those who are different.
(解釈)
国家は、犠牲と協力により人々を団結する論を展開して素晴らしい発展を遂げましたが、こうした同様の論は同じ人間であっても自分たちと異なる人々を弾圧し人間性を否定するためにも頻繁に利用されてきたのです。
(補足)
自動詞ariseから第一文型。
telling以下の分詞とallowing以下の分詞(修飾句)の並列構造と読む。
他動詞oppress:激しく支配する=弾圧する。
他動詞dehumanize=de-humanize。
前述different thanを意識して「同じ人間であっても」と意訳した。
(原文)
Science allows us to communicate across the seas, fly above the clouds, to cure disease and understand the cosmos. But those same discoveries can be turned into ever more efficient killing machines. The wars of the modern age teach us this truth. Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us. The scientific revolution that led to the splitting of an atom requires a moral revolution as well. That is why we come to this place.
(解釈)
科学は、我々に海を越えたコミュニケーションを実現し、高空を飛びまわり、病を治癒し、宇宙の自然調和を理解する術を与えてくれます。
そして、その同じ科学が今度は効率的に人を殺す道具になることがありえることを近代の戦争が教えています。
技術の進歩と同等に技術を使う社会制度や法令倫理が整備されない限り、技術は将来的に我々を破滅させるでしょう。
原子を分裂させることを成功させた科学革命は、同様に我々の道徳革命を必要としています。
だからこそ、我々はここ広島を訪れるのです。
(補足)
can:可能性の「ありうる」。
cosmos:(war = chaosと同義と読んで)「宇宙の自然調和」と意訳。
turn A into B:AをBに変えるだがin turnという用法表現を意識して「今度は」を意訳した。
an equivalent progress in human institutions:社会制度や法令の同等の進歩とは、技術を使う上での法律や倫理面での整備を指している(昨今のゲノム編集にもつながる話)、次文のmoralを先取りして意訳。
come:前述の通り「訪れる」で統一。
(原文)
We stand here in the middle of this city and force ourselves to imagine the moment the bomb fell. We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see. We listen to a silent cry. We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war, and the wars that came before, and the wars that would follow. Mere words cannot give voice to such suffering. But we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.
(解釈)
広島の中心にあるこの場に立つ時、原爆が落ちた瞬間を想像せざるを得ません。
そして我々は、目の当たりにした光景に混乱し恐怖に固まった子ども達に思いをはせざるを得ません。
我々は、彼らの声なき悲鳴に耳を傾けます。
我々は、あの酷い世界大戦やそれ以前に起きた戦争、そして世界大戦の後に続いて起こったあらゆる戦争の紛争地域で殺害された罪無き全ての人たちのことを思います。
こうした苛まれた現実を表現するいかなる言葉も存在しません。
しかし我々全員には歴史を直視する責任があります。
そしてかくの如き苦しみを繰り返さないためにも、我々は従来とは異なるどういう行動を行うべきかを自問すべきなのです。
(補足)
a silent cry:「声なき悲鳴」と解釈。
the arc of that war:戦争の弧とは「戦場になった地域」と解釈する。
that terrible warが世界大戦、the wars that came beforeが大戦の前の戦争、the wars that would followが世界大戦の後の戦争(朝鮮、ベトナム、中東での戦争)と解釈する。
look into the eye of …:…を直視する。
what we must do:我々がなすべき行い→what we must do differently (from the past):我々がなすべき(戦争を起こした過去と)異なる行い。
(原文)
Some day the voices of the Hibakusha will no longer be with us to bear witness. But the memory of the morning of August 6, 1945 must never fade. That memory allows us to fight complacency. It fuels our moral imagination, it allows us to change.
(解釈)
被爆者の方々から証言を直接うかがうことはいずれできなくなるでしょう。
しかし、1945年8月6日の朝の記憶を断じて風化させてはなりません。
8月6日の記憶は我々の勝手な思い込みである技術万能への盲目を抑制してくれます。
その記憶は戦争を防ぐ道徳的な思索の背中を後押ししてくれますし、我々が過去の我々からあるべき姿に変わることを可能にしてくれるものです。
(補足)
will be with us to bear witness:証言を聞くために一緒にいる→「証言が聞ける」と解釈する。
no longer:もはや・・・ではない。
complacency:「ひとりよがり」だが、アメリカ世論における「原爆正当論」を意識した表現と解釈して原爆正当派の主張である「勝手な思い込みである技術万能への盲目」と意訳した。
他動詞fuel:英語らしい表現「燃料をくべる」イメージ。
it allows us to change (what we had been to what we have to be)と括弧を補完した、change A to B:AをBに変える。
(原文)
And since that fateful day we have made choices that give us hope. The United States and Japan forged not only an alliance, but a friendship that has won far more for our people that we can ever claim through war. The nations of Europe built a union that replaced battlefields with bonds of commerce and democracy. Oppressed peoples and nations won liberation. An international community established institutions and treaties that worked to avoid war and aspired to restrict and roll back and ultimately eliminate the existence of nuclear weapons.
(解釈)
あの運命の日以来、我々は希望を持つ選択を行ってきました。
アメリカと日本は強固な同盟だけでなく堅い友情を鍛え上げ、その友情は戦争を通してかつて得ることが出来たものを遙かに超える恩恵を我々にもたらしました。
ヨーロッパの国々も連合をつくり、戦場だった地域を商業と民主主義で堅く結束された自由主義の場所に変えました。
迫害された人や国々は自由を勝ち取っています。
そして、国際社会は国際機関や国際条約を設立して戦争を回避すると共に、核兵器の保有数を制限し削減すると共に、究極的には廃絶することを追求しました。
(補足)
that fateful day:文意から8月15日と解釈(6日と解釈すると、9日の長崎原爆投下を無視することになるので)。
他動詞forge:(鉄を)鍛える=強固な同盟関係のニュアンス。
butの前の”,”の存在から関係代名詞that以下はfriendshipに掛ける。
構文としてa friendship win far more than we can claim through warとなり、比較級の接続詞thanがthatになったと考える、「友情は戦争を通じて要求できたものよりも多くを勝ち取った」。
replace A with B:AをBに交換するから、前述the arc of that warを思い出してthe arc = battlefieldsの文意を確認する。
「自由主義の場所」を補記してと意訳した。
roll back the existence of nuclear weapons:核兵器の存在の引き下げ=核兵器の(数の)削減、オバマ大統領が言いたいことと思料。
(原文)
Still, every act of aggression between nations, every act of terror and corruption and cruelty and oppression that we see around the world shows our work is never done. We may not be able to eliminate man’s capacity to do evil, so nations and the alliances that we formed must possess the means to defend ourselves.
(解釈)
しかしながら、国家間のあらゆる軍事衝突や、テロ、腐敗、残虐、迫害といった世界各地で今日も見られる出来事は、我々の平和を追い求める活動に終わりがないことを示しています。
我々人類は悪を行うことから逃れることが出来ない宿命にあるとして、我々が強固に形作る国家体制や同盟関係は自分たちを矛盾という宿命から守る術を持たなければならないのです。
(補足)
aggression:軍事侵略。
work (for peace):ある目的を持って行う行動、平和活動。
our work is never done:活動は終わらない。
capacityは単純な能力ではなく、ここでは「逃れることが出来ない宿命」として意訳し、術を持つ→宿命に抗う術を持つと意訳した、defend ourselves (against our core contradiction)。
◆ここまでのまとめ

詩的な表現から入り、原爆投下の主語(アメリカ)をぼかして戦争を志向する人間の本質が悪いとロジックを転換するあたり、なかなかくせ者の文章です。

平易な文章ではあるのですが読んでの通り構文は難しく、更には日本人が解釈しづらいレトリックが多用されており、文学青年が書いた文章だけのことはあります。

現職のアメリカ大統領が広島で謝罪する訳にはいかないのですが、退役軍人を中心とした「原爆正当論」を踏まえてcomplacency:ひとりよがりと踏み込んでくるところは流石と感心します。
この文書をスピーチで(耳で聞いて)直解できる英語レベルってスゴイですね。
そして知識人が書く英語の「行間の深さ」にあらためて感じ入ります。


人類の失敗=科学技術の象徴である核兵器の創出(ナチス対応が日本対応にすり替わったことに触れていない)とその使用であり、広島をモニュメントと位置づけ、バラク・オバマ氏の持論である核軍縮にも触れ、両国の同盟関係と友情が平和の術であると主張しております。
本コラムの視点であるロジック転換=暴挙に邁進しております。

脱線しますが、友情と言えば、3.11におけるトモダチ作戦は純粋にすごかった。
米軍の現場指揮官の良心の賜物でしたけど。


後半はどういう文章になりますかね?
今回はこの辺で。