第7回 |コラム澤口 「建前と本音のせめぎ合い(その2)」           

一般社団法人 日本事業戦略総合研究所(co-founder)、理事の澤口です。
全12回シリーズで、個人的に興味深かったことについて、自由気ままに書き綴って参りますので、お時間がある方はお付き合い下さい。


今回の第7回のお題は前回からの続きで「建前と本音のせめぎ合い(その2)」です。

本編に入る前に少し脱線し、前回コラムで使用した「統合言語能力」について、私的ヨタ話を絡めて思うところを述べさせていただきます。
私は子供の頃、国語と社会が大嫌いでした。
子供の根拠のないイメージですが「何でも答えになるし、実際はならない」という漠然としたもので、そのイメージは高校まで引きずっておりました。
とにかく試験で点が取れない。

社会の中でも歴史は非常に好きな科目でしたが、結局は受験では使わずじまいで、国語と社会はただただ嫌いで苦手な科目でした。

江戸川区にある都立高校の劣等生であった私は駿台予備学校(以下「駿台」)のお世話になるのですが、80年代当時の駿台には、有名講師陣が“きら星”の如く集まっておりました。

私は医学部志望系の市谷校舎(市ヶ谷ではない)に通うことになるのですが(お茶の水校はゴチャゴチャしていて嫌いだった)、
敬称略で
数学科の3N(根岸・中田・野澤)や、
長岡(今や受験数学の大家、あの名著「長岡の教科書」の著者)
秋山(とにかくお茶の間に露出、女優・由美かおる氏と・・・の数学者)、
物理科の坂間・山本(山本先生は今も駿台の教壇に立たれているそうで・・・)、
化学科の三国・石川・小倉、
現代文の関谷、
古文の桑原、
と、私は駿台から「学ぶことの意義や目的」、更には「価値観」を教授いただいたと言っても過言ではありません。

予備校なのに大学一般教養の授業を勝手にぶっ込んでくる破天荒な講師陣でした。
懐かしいです。

破天荒と言えば、物理の坂間勇先生は「黒板の板書をノートに写すな、記憶して家で再現しろ」と強制されてその通りにしていたのですが、これは結局のところ短期メモリー(脳の海馬)と理解を深める力を鍛えることにつながり、社会人になってメモを取ることが無くなったのはその恩恵でもあります(逆に「なぜノートを取らない!」と銀行員の先輩方から誠にありがたいご指導を受けたことは枚挙に暇はありませんが、その都度反抗的な態度で「相手の海馬の弱さ」を罵っていました。可愛くありませんね・・・よい子のみんなは真似しないように)。

余談ながら、秋山仁先生は当時から「バンダナ先生」でしたが、第一回目の授業の時に、「見知った顔がチラホラいるが、お前ら、なぜここ(駿台・市谷校舎)に戻ってきた?なぜ自治医科とか防衛医大とか鹿児島大学とかに行ってさっさと医者を目指さない!なぜ患者を助けない!馬鹿野郎!」と本気で怒っていたことを思い出しますね(最後の授業は、第一回目の対で「二度とここに戻ってくるな!」でした)。

毎日、毎時間、素晴らしい授業が目白押しなのですが、一番印象に残っているのは英語科の授業です。
現在も著名な故伊藤和夫先生から直読直解(英文を「左から右」に一回読んで文意を理解する)を教えていただき、英語の基本ルール~文法と構文~を学び、ある程度は英文の字面(じずら)が読めるようになった時、最も強いインパクトを受けた授業がありました。

それは「Choice(チョイス)」という教材の授業です。

この教材、文字数で100から150ぐらいの短編が並んでおり、一回のコマで2編に触れていくというものなのですが、字面だけを追った直訳ではほぼ意味をなしません。
何が言いたいのかが壊滅的に分からない。
要するに、前回コラムから触れてきましたように「日本語にならない」のです。
等位接続詞andなんて中学校一年生で習う接続詞ですから浪人生は普通辞書を引きませんが、語法を追求する上で引かざるを得ない。

こうした積み重ねの中で、文法や構文を越え、英語を母国語とする知識人が行間に込める意味や常識表現とレトリックといった語法、そして英語と日本語の違いを的確に結びつける能力を教え込まれました。

50代以上で当時の駿台のお世話になった方は、懐かしくこのくだりを読まれていると存じます。

これは後に知ったのですが、当時の駿台でChoiceの授業を任される英語科講師は鈴木長十氏や、そのお弟子の奥井潔氏に「認められた」ほんの一握りであったそうです。
私はChoiceを長内芳子先生から習ったのですが、この先生は授業の冒頭から「酒とS○X(真面目に書いておりますよ)」を語るのです。
当時の私は既に喫煙者でしたが(未だ)酒は一滴も嗜まず、当然チェリー(ああ偉大なるレトリック!)でしたから、衝撃を持って受け止めた(要は「あんぐりした」)ものです。

こうした「愛の営み」を多感な青少年達に真顔で語るという、それはそれはぶっ飛んだ授業だったのですが、この長内芳子先生の解釈が素人でも分かる超絶秀逸であり美しいのです。
授業のたびに、先生が朗朗と読まれる解釈にただただ聞き惚れ、自分の無教養丸出しで稚拙極まりない解釈を恥ずかしく思い、そして自らの言語能力の未熟さを呪ったものです。

この頃から現代文=日本語の重要性に目覚め、セットで言語としての古文や漢文にも目を向け始め、社会では哲学系に目覚めていった(共通一次の社会科目で倫理社会を選択したという実務的要因につながる)という、私の人文社会系に対する向き合い方の変化がありました。

言わずもがな、言語は文化です。
国語にしろ、社会の各科目にしろ、そして英語にしろ、各々は「紡がれた文化と教養の塊」ですが、これら一見個別事象に見える各々を結びつけ統合して解釈する=統合した自らの意見を持つということを、私は統合言語能力と呼んでおります。

大学受験を例示すると、東京大学の英語第一問、東京医科歯科大学の英語最終問題は、伝統的に「日本語での文意要約」であり、漢字が書けない・語彙を知らないと答案が書けません(2019年の東京大学英語第一問は「虐待・育児放棄」をひらがなで書くと字数オーバーになります)。
更に、人間心理や時事問題に精通していない、要は「無味乾燥な受験テクニック人間」には解けない問題をメッセージとしてぶち込んでくる訳です(※)。
英語のみならず「母国語である日本語の運用能力も見ている」ということであり、「本学はそういう学生が欲しい」という意思表示でもあります。

(※)
2013年東京大学文理共通の第二問(古文)は、「君たちさ、本気で人を好きになったことってあるのかい?」というメッセージです(出典は吾妻鏡、場面は鎌倉・鶴岡八幡宮にて、将軍・源頼朝の命により、弟・源義経の愛妾・静御前が頼朝と妻の北条政子の前で舞うシーン、静御前が吟じた内容(しずやしず・・・のアレ)に頼朝が激怒し、間髪入れず政子が頼朝に抗議します。「なんで女心が分からないの?伊豆に流されたあなたのところへと、私は夜な夜な・・・」、これで全問35点いただきです)。

昨今の「若年からの英語教育」について賛否が分かれていますし、中学校高校と6年間も英語を学んで「聞けない、話せない」という状況を嘆く向きがありますが、私は今年の共通テストの英語問題を解いてみて、これが「国が求める英語教育=コミュニケーション英語」だとすると「とんでもない間違いを犯すだろう」と確信しております。

我々日本人でも、子供が使う日本語と、一般の大人が使う日本語、人文や科学倫理領域で使われる日本語と、はたまた小林秀雄の日本語といったように語彙は無論のこと「行間」や「奥深さ」は千差万別です。

日常生活のツールとしてコミュニケーション英語が重要であることは火を見るより明らかですが、「ツールのレベル」を外国語教育と位置づけるならば「単に慣れれば良い」だけなので、学校教育ではなくネイティブ達の真ん中に落して慣れれば良いだけでしょう。
更にはAIの解釈で十分であり、AI万能論に倣い人間の解釈を無意味と断じかねません。
それなら、生きた英語=洋楽を英語の教材にすればいい、そんな風に思ってしまいます。
実際、完璧な英作文やスピーキング(語法および発音)を行うある学生の場合、実は海外での生活経験が皆無であり、単に洋楽を聴きまくっていたという事例もありますので。

そんなことをツラツラ考えると、女優の米倉涼子氏がブロードウェイで「シカゴ」を演じられたことや、俳優の渡辺謙氏が同じブロードウェイで「王様と私」を演じられたことについて、目が肥えた文化人の前で「日本人が英語で演じる」ということが「如何にスゴイ偉業であるか」と感じ入る次第です。
英語が話せるではない、時代背景等の文化の隅々に至る深い理解が不可欠だからです。

将来、本コラムで「アクティブラーニングの功罪」に触れる予定です。
教育者という職業は、単に学生に科目を教えるのではなく、人生の先輩として文化と教養に対する深い造詣を持ち、情熱と使命を持って、学生(子供)の感受性や知的好奇心に「火を付ける」ことで「人を作る」職業であると思っています。
まあ、私には無理筋ですが・・・。

第6回コラムを見た私の文系友人と必然的に「わが青春のChoice談義」に発展し、「マンボー下」の東京で「要請に則って飲み倒した」のは余興です・・・そこの君、ただのアル中ということなかれ。

脱線はこれくらいにして、本編に戻ります。
●以下、前回の続きです。
(原文)
Among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them. We may not realize this goal in my lifetime, but persistent effort can roll back the possibility of catastrophe.
(解釈)
我々アメリカのように世界を何度も破壊する程の大量の核兵器を保有した国々は、当然のように絶滅に至る恐怖から脱却する勇気を持ち、そして核のない世界の実現を追求しなければなりません。
我々が生きている間において核廃絶は実現できないかも知れない、しかしながら我々アメリカを筆頭に核保有国が核廃絶に向けた努力を粘り強く行うことにより破滅に至る未来のシナリオを少なくすることが出来るのです。
(補足)
stockpile:備蓄だが「必要数を超えて」というニュアンスを持つので、「世界を何度も破壊する程の大量の(超過の)核兵器」と意訳した。
the logic of fear:恐怖の論理では意味が通らないので、logic:必然性の語法に着目して「当然のように絶滅に至る恐怖」と意訳した、勝者がいない戦争であるというニュアンス。
他動詞pursue:追求する。
persistent effortの実行者(意味上の主語)は「核保有国」であり、本スピーチはアメリカ大統領が行っているので「我々アメリカを筆頭に」と意訳した。
the possibility of catastrophe:直訳すれば「破滅の可能性」だが、後述最終文の「未来は選択できる」という文意から映画ターミネーター2を意識して「破滅に至る未来のシナリオを少なくすること」と意訳した。
(原文)
We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles, we can stop the spread to new nations, and secure deadly materials from fanatics.And yet that is not enough. For we see around the world today how even the crudest rifles and barrel bombs can serve up violence on a terrible scale.
(解釈)
我々は既に保有した核の廃絶に向けた動きを実現することが出来ますし、核非保有国への核拡散を防止し、合わせて危険極まりない核物質がテロリスト達に手に渡らないように管理下に置くことが可能です。
それでも十分とは言えません。
今日我々が世界中で目の当たりにしている通り、安価で普及したライフルや自爆テロ攻撃で使用される爆薬のすさまじい破壊力により人の命が奪われています。
(補足)
these stockpiles:theseを受けて「既に保有した」と意訳した。
new nationsは核非保有国のこと。
fanatic:文脈から「テロリスト」。
deadly materials:核兵器ではなく、核兵器の原料、たとえば濃縮ウランやプルトニウムをイメージする。
他動詞secure:安全な→管理下に置く(NPT等の世界的枠組みによる核兵器・核原料管理をイメージ)。
For:前置詞では文法がおかしいので接続詞と解釈、「・・・の通り」とした。
the crudest rifles:ロシア製カラシニコフ自動小銃=貧者の兵器をイメージ。
barrel bombs:樽爆弾では意味が通らないので、テロリストの自爆攻撃で使用される携帯爆薬をイメージした。
serve up:提供する。
violence:ライフルや爆薬と言っているので抽象的な暴力ではなく「人の命が奪われる」と意訳した。
(原文)
We must change our mindset about war itself — to prevent conflicts through diplomacy and strive to end conflicts after they’ve begun; to see our growing interdependence as a cause for peaceful cooperation and not violent competition; to define our nations not by our capacity to destroy but by what we build.
(解釈)
我々は戦争そのものに対するに考えをあらためなければならない時にきているのかも知れません。
この考え方のパラダイムシフトは、外交により紛争の回避し、既に始まってしまった紛争を終結させ、軍事的対立ではなく平和的協調を礎とする相互関係はますます強固になり、保有する軍事力ではなく人類のために何が創出できるかという観点で我々の国々が評価されるということです。
(補足)
助動詞mustは強制と推定のどちらでも文意は成り立つが、ここでは推定を採用した。
mindset about war itself:戦争そのものに対する考え方とは、従来の戦争が「軍隊vs軍隊」であったが、最近のテロとの戦いは「場所・時を選ばない貧者の戦争」に変質しており、戦争が日常化しやすいと読み解く、大量殺戮兵器は核兵器だけではないというニュアンス。
「;」により不定詞副詞的用法3つを並列している。
自動詞strive (to do):努力する。
他動詞define:立ち位置を明らかにする→評価する。
by what we build:buildはcreateに近い文意で解釈し「人類のために」を補完した。
(原文)
And perhaps above all we must reimagine our connection to one another as members of one human race — for this too is what makes our species unique. We’re not bound by genetic code to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose. We can tell our children a different story, one that describes a common humanity, one that makes war less likely and cruelty less easily accepted.
(解釈)
そして何よりも大切なことは、我々は同じ人類の一員であり、国家やさまざまな違いを超えてお互いが連携していることに再び思いをはせることなのかも知れません。
そしてこうした相互尊重は我々人類を他の動物とは異なり特別な種に押し上げる考え方でもあるのです。
我々は、過去に犯した失敗を再び繰り返すように遺伝情報を組み込まれ、自らの意思では何も出来ないと宿命づけられている訳ではありません。
我々人類は学ぶことが出来ます、そして未来を選ぶことが出来ます。
我々が次世代に語りかける未来とは過去の失敗と異なるものであり、同じ人間として尊重し、そして戦争が起きにくく、残酷な行為がより容易に許されないという未来です。
(補足)
助動詞mustを推定と解釈。
reimagine:re-imagine。「人類の一員としてお互いが結びついている」では抽象的なので、これまでの文意を踏まえ「国家やさまざまな違いを超えてお互いが連携している」と意訳した。
forの品詞は前置詞ではなく接続詞。
他動詞bind:縛る→運命づけられており意思ではどうにも出来ない。
code:機械的なイメージ、神が人間の遺伝子をプログラミングしたぐらいのニュアンス。
We can choose (to roll back the possibility of catastrophe).と解釈する(前述内容)。
different story (from the past)と補う。
a common humanity:共通の人間性→同じ人間であるということ。
less likely:しそうにない。
(原文)
We see these stories in the Hibakusha: the women who forgave a pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb because she recognized what she really hated was war itself; the man who sought out families of Americans killed here because he believed their loss was equal to his own.
(解釈)
我々はこのような事実を被爆者の方々の語りに見いだします。
原爆投下機のパイロットを許した女性は、戦争こそが憎悪の対象であると長年の思いの果てに気づきました。
原爆に巻き込まれて死んだアメリカ人捕虜の家族を探し出した男性は、同じ人間として捕虜の死は自分たち日本人家族の死と同じであると確信しました。
(補足)
these stories:前パラグラフ全体の内容、話ではなく実体に即して「語り(語り部を意識)」とした。
他動詞recognize:認めるが一般的だが、時間を経た思考によって「(巡り巡って)気がついた」と解釈する。
Americans killed here:ここ広島で死んだアメリカ人=アメリカ人捕虜。
equal to his own (families’ death):家族を失った悲しみは万国共通という意、「同じ人間として」と意訳した。
(原文)
My own nation’s story began with simple words: “All men are created equal, and endowed by our Creator with certain unalienable rights, including life, liberty and the pursuit of happiness.” Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens. But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for, an ideal that extends across continents and across oceans.
(解釈)
我々のアメリカという国家は実にシンプルな言葉で始まりました。
「全ての人は平等であり、神が我々に与えた生命や自由、そして幸福の追求といった、他者が冒すことができない権利を持っている」という言葉です。
こうした人類平等の理想を実現することは、我々アメリカ国内は言うに及ばず、我々アメリカ人同士ですら決して容易なことではありません。
しかしながらこの人類平等の理想を追い求め続けることは崇高です。
理想の実現に向けて努力しなければなりませんし、大陸や海を越えて世界中に広がっていくのです。
(補足)
他動詞endow:授ける。
unalienable (=inalienable) right:何者も犯すことが出来ない固有の権利。
stay true to …:…に忠実である。
worth the effort:努力する価値がある。
It is an ideal (that) to be …:強調構文。
strive for…:…を求めて努力する。最後の文が現在時制である意味は「アメリカが主導して行っている」という隠された意図があると思料。
(原文)
The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that we are part of a single human family: that is the story that we all must tell.
(解釈)
我々すべての人は全員が価値ある存在です。
そして我々全ての人の命はかけがえのないものであるとここに主張します。
そして私は人間の本質であり必然の帰結を主張します、そう、我々は人類というたった一つの家族の一員なのです。
そして我々全員がこの主張を後世に語り継がなくてはならないのです。
(補足)
形容詞irreducible:ir-reducible、縮小化できない価値=価値がある。
the insistence that SV = I insist the fact that SV。
形容詞precious:尊い→かけがえのない。本来は他動詞insistの目的語として文頭の名詞句とthat節があったが、収まりが悪く並列しにくいので、名詞句を文頭に出して強調した形になっており、その意図に即して解釈した。
(I insist) the radical and necessary notionthat SV。
形容詞radical:根本的な。
human family:人類。
the story = the insistence。
we all must tell (the story to our children).。
(原文)
That is why we come to Hiroshima, so that we might think of people we love, the first smile from our children in the morning, the gentle touch from a spouse over the kitchen table, the comforting embrace of a parent. We can think of those things and know that those same precious moments took place here 71 years ago.
(解釈)
それこそが我々が広島にやってくる理由です。
愛する人達のこと、「おはよう」の言葉で始まる子供達の笑顔、パートナーがキッチンテーブル越しに見せる気遣い、そして幸福感につつまれる両親との抱擁、これらをかけがえのないものとして思い起こすために。
我々がこうした日常の営みに思いを馳せることで、我々と何も変わらない大切な日常の一瞬一瞬の営みの数々が71年前のここ広島で営まれていたことを知るのです。
(補足)
…, so that SV:…の結果としてSV。
the first smile:「おはよう」の言葉と意訳。
the gentle touch:優しい感触だと意味が通らないので「バターいる?」といった気遣いと意訳。
名詞spouse:配偶者。
名詞embrace:抱擁。
前文を意識して「かけがえのないものとして思い起こす」と意訳。
We can think … and know:考えてそして知るでは意味が通らないので「同時性のand」と解釈する。
those things:前文の内容→日常の営みと意訳。
those same precious moments= those things、「我々と何も変わらない大切な日常の一瞬一瞬の営みの数々」と意訳。
take place:行われる、是非真似したい英語らしい表現。
(原文)
Those who died, they are like us. Ordinary people understand this, I think. They do not want more war. They would rather that the wonders of science be focused on improving life and not eliminating it.
(解釈)
ここ広島で亡くなった方々は、まさに我々と変わらない人なのです。
今更説明は要らないでしょう、私はそう思います。
広島でなくなった方々は、先の大戦以降の戦争を求めていません。
被爆で亡くなった方々は、科学の素晴らしさが人類の生活を豊かにすることにのみ使われることを望み、人類の生活を消し去ることに使われることを望まないでしょう。
(補足)
Those who died, theySV:同格、スピーチであることを踏まえて強調気味に解釈。
more war:「それ以上」を具体的に考えると、被爆死亡者は太平洋戦争以降の戦争を希望していないと読み解き、現在も地球上から戦争が根絶されていない状況を憂えると解釈する。
Swould rather that SV:SVであることを望む。
名詞wonder:驚嘆だが、意味が通らないので素晴らしさ・恩恵と解釈。
be forced on …:…に押しつける→…にのみ使われる、前置詞onの目的語が二つの動名詞。
it = life。
(原文)
When the choices made by nations, when the choices made by leaders reflect this simple wisdom, then the lesson of Hiroshima is done. The world was forever changed here, but today the children of this city will go through their day in peace. What a precious thing that is. It is worth protecting and then extending to every child. That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.
(解釈)
国家が政策を決定する際、そして国家のリーダー達が政策を決定する際の各選択にこの平易な英知が反映され広島の教訓に命が吹き込まれます。
ここ広島において世界は永遠に変わってしまいましたが、今日、広島の子供達は平和な日々を過ごしています。
惨劇を乗り越え平和な日常を実現していることに私は言葉がありません。
世界中の全ての子供を守り平和な日常を広げて行かなくてはなりません。
それこそが我々が選択出来る未来です。
広島と長崎は核攻撃の廃墟として記憶されるのではない、愚かな戦争の過ちを繰り返さないための人類の目覚めがここ広島から始まるという未来に他ならないのです。
(補足)
… choices(S) …, choices(S) … reflect(V)、通常Whenは副詞節を導く従位接続詞が、スピーチであるため冗長的な表現を嫌い、主節と従属副詞節とを一体化したと解釈する。
be done:行われている→活かされている。
感嘆文What以下を踏まえ「惨劇を乗り越え平和な日常を実現していることに」と意訳した。
protectingとextendingの目的語であるtheir day in peaceが省略されているので補う。
warfare:warとの違いは「戦闘の手段」という意。
moral awakening:愚かな戦争の過ちを繰り返さないための人類の目覚めと意訳。
◆「ムカムカ感」を禁じ得ない

さて、これで精緻に全文を読み込むことが出来ましたが、何か感じられますか?

後半部分は「核兵器廃絶」「核拡散防止」「テロとの戦い」と、ありふれたトピックが散発的にありましたが、一貫しているのは「我々アメリカには核兵器管理の責任がある」という主張です。
そして後半の最後は、スピーチの冒頭部分に戻り、71年前と現在を対比して「何気ない日常の風景=平和の象徴」と締めくくっています。

・・・あのですね、このスピーチを読み終えて表現出来ない「ムカムカ感」を禁じ得ないのは私だけでしょうか?

被爆者の声を2名(原爆投下機B29エノラ・ゲイのパイロットを許したとか、被爆に巻き込まれたアメリカ人捕虜の本国の家族を探したとか)引用しておりましたが、その他の広島や長崎の方々は100%納得しているのでしょうか?
本当に大丈夫なのでしょうか?

重ねて言いますが、このスピーチは「核攻撃に関するアメリカ政府の日本人に対する公式見解」であります。
そして、当該スピーチに対して日本人が目立った反応をしなかったことで、アメリカ政府は「日本人は一定の評価を示した=スピーチは成功した」と考えている筈です。
私なら報告書にそのように記述します。
反戦も分かるし、戦争の原動力が「人間性の本質」や「不平等や格差」にあること理解しますが、肝心の「主語がアメリカ」の部分の回避に成功したことで一定の免罪符を与えてしまったという事実に「ムカムカ感」を持ちます。
◆なぜこうなったのか?

一瞬、本コラムの本論から脱線して当時のニュースを思い出すと、
  • ・現職アメリカ大統領が被爆地に来てスピーチを行った
  • ・被爆者と大統領が「ハグ」した
  • ・日米同盟を確認した(前回コラムの通り、「相互に謝罪無き巡礼」を行った)
という事実に焦点があたり、肝心のスピーチ解釈を日本人が「怠った」ために、一般の認識が歪められてしまった、深刻に受け止められなかったと個人的に思料しています。
英語のプロ達の解釈がどうであったのかは前回コラムで触れた通りであり、時間が無いなかでの解釈がさぞ大変であったことは分かります。

が、そもそも訳者が「戦争に対してどういう事実理解と見識・見解を持っていたのか?」
訳者が具体的に、
  • ・原爆がなぜ製造され日本に使用されるに至ったのか?
  • ・核攻撃により、キノコ雲の下でいかなる悲劇が起きたのか?
  • ・その後の悲劇がどこまで多岐に渡り、どれほど多くの人々の人生を狂わせたか?
  • ・大戦終結後の冷戦下における軍拡競争とはなんであったのか?(V2ロケット→ICBM開発)
  • ・テロとの戦いに代表される「戦争の変質化」とは何か?
  • ・更なる技術革新(AIによる自律型兵器等の「新たな貧者の兵器」の登場)により戦争がどのように変貌するか?
という各トピックに対して見識等を持っていない「(文化なき)英語使い」であったため、レトリックや行間を適切に捉えることが出来なかったのだろうと思料します。

字面を追うだけではアメリカのエリートがスピーチの行間に込めた戦略(という名の策略)を斟酌出来ない、更には同盟国である日本政府が望む「落とし所」も分からない、そして字面通りの解釈に終始し「ギリギリの表現」を的確な言葉で伝えていないので伝わらなかった・・・というジレンマによる「ムカムカ感」です。

(補足)V2ロケットを巡る話
子供の時に見た映画の影響で「月に行く」ことを夢と誓ったドイツの科学者ヴェルナー・フォン・ブラウンは、ドイツ陸軍に才能を見いだされ、ロケット技術開発(燃料開発)と兵器応用に携わります。
V2ロケットは弾頭を成層圏まで打ち上げた後に自由落下で目的地に着弾させ攻撃するという無差別兵器であり、実際にロンドンに対する爆撃攻撃で使用されました。
大戦末期、アメリカおよびソ連はV2ロケットの開発陣および首魁のフォン・ブラウンを血眼で探し、フォン・ブラウンらもドイツ敗戦を予想して、大量の研究成果を土産にチームごとアメリカに投降しました(要するに祖国ドイツを売ったのです)。
そもそも、フォン・ブラウンらの研究開発に必要な労働力は強制収容所から調達しており、ユダヤ人が劣悪かつ過酷な労働への従事を強制されました。
フォン・ブラウンらは当然ホロコーストの存在を熟知し、更には人的リクエストを出してユダヤ人を積極的に活用したという「歴史の闇」がありますが、このことが渡米後に戦争責任として問われることはありませんでした。
そうしたロケット開発の研究成果は、後の米ソ軍拡競争の象徴となるICBM(大陸間弾道ミサイル)へと進化すると共に、アメリカの有人宇宙飛行(アポロ計画)へとつながることになります。
フォン・ブラウンの夢が叶った訳ですが、個人的に極めて「胸くそ悪い話」です。
◆スピーチ解釈を通じた我々への示唆とは?

今回のコラムは歴史観ではありませんので、建前と本音の話に戻ります。

スピーチの建前は「原爆投下の正当性」であり、本音は「核攻撃は悪いこと(戦争犯罪とまでは言わない)」となります。
スピーチは建前として非常に成功しました、見事な勝ちっぷりです。

今一度、客観的にスピーチ解釈を見渡した時、技術論として次のような技法に分類されると思料します。

①(本音を言わないように)主語や論点をずらす技術
スピーチで多用された「戦争とは人間の本質的な愚かさ」とは、「悪いのは人間の本質=アメリカではない」という論点ずらしでした。
更に、核攻撃の話がいつのまにか「テロとの戦い」にすり替わっており、すり替わった理由は「科学技術の道徳的な使用が重要」「人間は過去から学ぶ」「広島・長崎の賢いモニュメント化」とこれまた論点ずらしを展開します。
②形を変えて建前を表明する技術
核攻撃を行ったのはアメリカですが、「核攻撃を行ったアメリカこそが核兵器の管理と廃絶に責任を持っている」という風に役割という意味で建前=正当性を主張します。
③本音自体を言わない技術
一般的な「人類科学技術の粋の結晶である核の軍事利用」を非難しておりますが、かつての自らの使用については詩的な表現で封印しました。
自らの過去の軍事行動を悪いと表明することはアメリカ政府として絶対に回避・阻止しなければならない表現ですので、あえて詩とすることを徹底しました。
④(非技法)本音と建前を正直に話す誠実さ
これまでの3技法と趣が異なり、バラク・オバマ氏がアメリカ大統領の立場ではなく個人の見解としての「核軍縮に対する思い」が感じとれる部分がわずかに存在します。

例示すると、今回の冒頭で触れた、
「我々アメリカのように世界を何度も破壊する程の大量の核兵器を保有した国々は、当然のように絶滅に至る恐怖から脱却する勇気を持ち、そして核のない世界の実現を追求しなければなりません。
我々が生きている間において核廃絶は実現できないかも知れない、しかしながら我々アメリカを筆頭に核保有国が核廃絶に向けた努力を粘り強く行うことにより破滅に至る未来のシナリオを少なくすることが出来るのです。」
のくだりは、アメリカが核保有国として他の核保有国を主導して核廃絶に取り組むというメッセージですが、この内容が国防総省全体で共有されているとは想定しがたく、誠実さがにじみ出ていることから、バラク・オバマ氏の個人的な校正で書き加えられた「正直な本音」であると思料します。

特筆すべきは立場上「核攻撃申し訳ない」と口が裂けても言えないので、「被爆者をハグする映像」を通じて個人的な惻隠(そくいん)(※)を表現した点です。

バラク・オバマ氏の「正直な本音」が建前バリバリの張りぼて文書に一服の清涼剤を与え、モヤモヤしつつも個人的に救われた気持ちになります。
これは、バラク・オバマ氏ご自身のご経歴である「弱者に焦点を当てる人権派弁護士としての活動」が強く影響していると推察します。

(※)惻隠
中国の儒家で人間性善説を唱えた孟子が踏まえる「基本的な感情(四端)」にいう言葉の一つ。
  • ・「惻隠(そくいん)」は仁の端 :あわれみ、いたみ、同情する心
  • ・「羞悪(しゅうお)」は義の端 :自分や他人の不善を恥じ、憎む心
  • ・「辞譲(じじょう)」は礼の端 :謙遜して譲る心、へりくだって他に譲る心
  • ・「是非(ぜひ)」は智の端 :よしあしを判断する心(能力)
「建前と本音のせめぎ合い」について、前回コラムの冒頭で「暴挙=通常許されないもの」と表現しましたが、スピーチ全文の解釈を終えた現時点においては「交渉術の妙」と言い換えることが妥当であると思料し直します。
つまり「絶対に相容れない場面」と「双方が歩み寄れる場面」は分類して認識し、またそのように行動することが健全であるということです。

アメリカと被爆地「広島・長崎」が譲り合うことは永遠にあり得ないでしょう。
しかしながら、我々のビジネス場面において、譲歩とまでいかなくても双方が各種調整を施すことは「円滑にことを進捗させるための知恵」として肌感覚で理解しております。

先ほどの「絶対に相譲れない場面」と「双方が歩み寄れる場面」を比較想定すると、無意味な軋轢を避けた方が双方にとって建設的であるという価値観は共通ですので、
  • ・前者の場面は、アメリカ政府のように、各種技術を活用して正面衝突を避ける
  • ・後者の場面は、バラク・オバマ氏がギリギリ見せたように、お互いが正直に建前と本音を表明して知恵を持って妥結点を見い出す
ということではないでしょうか?

前回以降、連続して長々とお付き合いいただきました。
今回はこの辺で。